こうして僕らは腐る

ねえ、秒速100Usersなんだって、このブログがバズる速度。秒速100Users

PR

「フォレスト・ガンプ 一期一会」:映画レビュー【ネタバレあり】

高校生の頃、アカデミー賞の作品賞を受賞した作品を見ていく的なことをした時期があって、その頃にこの作品も鑑賞しました。

 

フォレスト・ガンプ 一期一会 [Blu-ray]

フォレスト・ガンプ 一期一会 [Blu-ray]

 

 

 

人生2回目のフォレスト・ガンプですが、10年以上前に見た映画でもやっぱ覚えているもんだなあと関心しました。

さて一度目見たときは主人公のフォレスト・ガンプに注目していたようです。

2度目の今回はヒロインのジェニーの方に目が行きましたね。

 

フォレスト・ガンプは生まれつき知能指数が低く、ギリギリ障害者の人物、母親はなんとかいい教育を与えるため、教師と寝て健常者として学校に入れます。

ガンプの母親は全編を通して、非常に愛情深い人物として描かれており、ガンプの人生に大きな影響を残しております。

 

ヒロインのジェニーですが、ガンプとは逆に母親を子供のときになくしており、父親と貧しい暮らしをしています。彼女は性的虐待を受けている描写がされていましたが、ガンプと出会いしばらくして開放されます。その後は祖母と暮らし女子大まで進学します。「つらくなったら逃げるのよ」というアドバイスがガンプの人生に寄与します。

 

高校までは地元でガンプと仲良しでしたが、大学以降はそれぞれの人生を歩み始めます。健常者のはずのジェニーは非常に不器用な人生を、不器用なガンプは1つずつ目の前の仕事をこなしていき、最後は億万長者となります。

 

2度目の鑑賞で思ったことは、ガンプはアメリカンドリームを、ジェニーはアメリカのその時代の暗部を表しているということです。知的障害ぎみで母親のみという不利な出自を抱えながら、アメフト進学、軍隊、勲章、卓球との出会いやエビ漁での成功など、様々なアメリカでの成功をガンプは手に入れます。

 

対してのジェニーは父親からの虐待、有名になりたいがゆえのストリップクラブでの労働や、戦争反対の左翼活動、ヒッピーとしての放浪、そしてドラッグ。成功を夢見た少女は決して報われることなく、最後は「不治の病」にかかり死亡します。映画中でドラッグの回し打ちをしているシーンがあるので、エイズだという風に言われており、僕自身一回目見たときにエイズだとガンプに告げたような記憶があったのですが、よくわからない病気としか表現されておらず、なんでエイズだと思ったんでしょうかね。

 

やっぱり注射器を回しているだろうシーンで、絶望的な表情で鏡を見つめるジェニーや自殺を図ろうとしてとどまった場面を見て想像していたのでしょうか。

2度目を見る前からジェニーはエイズで死ぬ映画だなあなんて思いながら見てましたが。

 

まず時代背景としてエイズがどの程度認知されていたかと、ジェニーはそれいついてどう理解していたかでしょう。描写的には医者もよくわかっていないから、ジェニーもよくわかっていなかったということでしょうけども、エイズにかかったあとガンプにあって子供を作ったとすると、ガンプは大丈夫かとか、母子感染は大丈夫かって話になるし、かといってガンプの元を去り、ガンプがランニングに興じる3年の間に感染しているとなると(その間に子供が生まれている)、なーんやこのビッチはとジェニーに対する評価が爆下げなきがするんですよね。

 

ここがなんというかひっかかったので、英語版wikiを見るとpresumably AIDS(多分エイズ)と書かれているので、やはりエイズという解釈でよいのでしょうが、展開にしっくりこない感じはありますね。

 

気になる表現はもう一つあって、僕は吹き替え+英語の字幕つきで見ていたのですが、億万長者ですることもなく芝刈りばかりしていたガンプの元にジェニーがやってきてしばらくの間二人で過ごします。その後ガンプが結婚を申し込むも、断りガンプと寝た(ここで子供ができたのでしょう)次の日に家を去るシーンがあります。

 

そのシーンで、タクシーの運転手が「どこへ逃げるんだい?」と聞きます。

ジェニーは「逃げるんじゃないわ」と答えますが、字幕の英語では「I'm not running」となっていました。これは中々に粋な表現です。というのもその直後に、ガンプがひたすらランニングしだすという展開になるわけだからです。

 

彼女はランニングしないけど、彼はランニングを始めるわけです。

この映画では走る(running)が大きなテーマになっていて、「進むこと」「逃げること」のダブルミーニングになっています。ランニングをすることは逃げることであり進むことでもあるわけです。ガンプは「走るのよ」というジェニーのアドバイスを忠実に守って繰り返します。そしてそれは人生のミッションを忠実にこなすことでもありました。とにかく誠実に立ち向かうときランニングがでてくるわけです。

 

ベトナム戦争のジャングルの中で仲間を助けるときもひたすら走りました。その結果が名誉勲章につながりました。さてジェニーの人生は立ち向かうというよりも逃げることが多かったです。ひたすら逃げました。有名になりたいだけだったのに、雑誌のプレイボーイに大学ユニフォームで掲載された結果大学からは追い出され、シンガーになりたいという夢からストリップクラブで半裸で歌いますが、そこでガンプと会った後、ヒッチハイクしてそのクラブからも逃げます。(そこでもなんというか性的な予感をさせるシーンです)

 

ヒッチハイクの運転手にどこへ行くかと聞かれたら「どこへでも」と答え、車の男は「いいねえ」と大喜び。目の前にガンプがいるんですけども。そこでも彼女はガンプにいいます「つらいことがあったら、無理しないで逃げるのよ」まるで自分に言い聞かせるように、そう告げヒッチハイクした車で消えます。

 

ジェニーの人生には車というものがすごく象徴的に使われております。

ガンプが走るという原始的な手段を用いるのに対して、ジェニーは常に車なわけです。これは製作者も意図的に利用していると思うのです。

 

例えば大学寮に送ってもらって、その中でお楽しみしようとするシーンがあります。(ガンプが邪魔しましたが)そこでも車の中でセックスしようとしました。

先述した通り、ストリップクラブから逃げるときもヒッチハイクした車でした。

 

さらに物語は進み、彼女は平和運動家になっていました。ブラックパンサーという有名な反黒人差別団体とも交流をします。平和運動家のボーイフレンドを再度再開したガンプが殴りつけることになり、その場所からも去ることになります。ガンプは引き止めました「彼女が帰るところはアラバマだよ」と。(ここの吹き替えでの「アラバマだよ!」は真似したくなる言い方です。)

 

ですが彼女はボーイフレンドとともに、車でどこかへ行きます。その後は車でアメリカ中を転々としてドラッグパーティや、路上生活のようなことをし、完全にヒッピーとしての暮らしをしていくことになります。

 

ホテルの一室で薬を打ちながら、絶望的な顔をするシーンは象徴的です。

僕はそのシーンでジェニーが重大な病気になっていることに気づいていたのではないかと思うのです。だから飛び降りようとしてとどまった。

その後突然ガンプの家に訪れたのも、そういう事情を知った上で訪ねたのではないかと思ってしまうのです。それだと相当な病んだ女性になりますが。いずれにせよ人生に迷った末ガンプの元へ来たのでしょう。

 

そして究極の逃げとも言えるべきシーンです。ガンプは結婚して欲しいというのにジェニーは首を縦にふることはありませんでした。

これは彼女の人生で「ガンプの気持ちから逃げ続けてきた」という描写なのではないかと思います。

 

ガンプと散歩をして昔父親と住んでいた廃屋にもやってきます。彼女はそこで自分の元実家に靴をなげつけ、石を投げつける。彼女は泣くだけでしたが、自分を虐待した親に対する恨みがあったのでしょうか、不幸で不器用な人生の責任をぶつけるかのようですが、この表現を見てもジェニーは自分がエイズになっていることを知っていたのではないかと思えるわけです。(このシーン全然覚えてなかったんですよ)

 

その後、ジェニーは車で去り、ガンプは走り出します。

やがてランニングをやめた頃、アメリカ大陸横断ランナーとして有名になったガンプの元にジェニーから手紙がやってきます。自分の家に来てくれと。

 

ここで物語は過去を語るところから、現在進行へと切り替わり、死の間際でガンプの気持ちを受け止めることになるわけです。ガンプが語りをやめてからジェニーが死ぬまで車がでてこなくなるんです。

 

ジェニーの家まではバスを乗らなければならないと思っていましたが、実はその必要がなくバス停の近くにあったわけです。やはりガンプはバスに乗らずに走り出します。

 

そうして自分の子供がいたことを知らされ、今度はジェニーが結婚を申し込みます。

遂に彼女はガンプの気持ちを受け止めることに。

彼女はアメリカの暗部的歴史を決算するというわけです。

 

つい感情がこもってしまいましたが、ガンプの物語であると同時にジェニーの物語でもある映画でした。そしてアメリカンドリームの映画でもあり、アメリカの闇を表現する映画でもあり、親子愛と歴史の映画でもあるわけです。

 

中々の表現に満ちた映画といえるのではないでしょうか。

 

9点/10点