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「この世界の片隅に」は21世紀に必要な映画だ:映画レビュー【ネタバレあり】

konosekai.jp

最近、シンゴジラ君の名は。などネットでバズって興行収入が増えてるんじゃないかと思えるような映画がチラホラでてきてますね。

 

ご多分にもれず、ビッグウェーブに乗るため映画を見に行ったブログがこちらになります。

 

さて、事前情報なしで評判だから見に行くってな具合で先程見てきました。

公開映画館がほんとに少ない!

君の名は。を見たときはどこの映画館でもだいたい見れるなあって思いましたが、「この世界の片隅に」は見る場所を選びます。

 

ですが、席自体はほとんど埋まっておりました。平日の最後の上映でしたが中々の盛況ぶりです。映画館の数をもっと増やせばいいのにって思いました。

 

内容ですが、じつは広島が舞台とさえしりませんでした。戦時中の映画だと言うことは知っていて、他の県にスポット・ライトを当てた映画だと勝手に思っていたので、広島が舞台だと知ったときは、ハードルが上がりましたね。

 

最初は主人公・すずの幼少期から始まります。年月が表示されますが、西暦ではなく昭和で表示されるので少々とまどいました。

 

自分の生まれた昭和から逆算して、だいたい西暦何年ごろだなって計算すると、やっぱり大戦中が舞台なんだなあと気づきます。ですが、戦時中広島とくるとやはり「あの日」がやってくるんだろうな、とも気づきました。

 

当然ですが、日本最大の悲劇の日をどう絡めてくるのかを思うとちょっと緊張しました。

物語の前半はコメディ成分が強く、戦時中の生活が存分に描写されます。

とくに良い演出なのは、物語のはじめに子供のすずがお小遣い片手にキャラメル小箱が5銭、大箱10銭というように数えるとこです。

 

視聴者に「子供の頃の物価」を教えている演出です。物語後半には歴史が示す通りすさまじいインフレが市民生活を襲う描写もなされ、その対比を描いているわけです。

 

お使いの最中、どこか抜けた主人公は「運命の人」と出会います。

その後、学校生活の中で絵がうまく、絵を描くことが大好きなすずを視聴者に植え付けます。

 

率直に言って物語の半分ぐらい進むまで、すずが鈍臭すぎてイライラしてました。

戦時中なのにもっとしっかりせえよ!ってすごーく集中力が乱れましたね。

しかしながら、その過剰に鈍くさいアニメちっくな性格描写が後の展開の布石になっておりますので、我慢しつつ見てください(笑)

 

幼少期には様々な「重要な人々」が描かれます。

屋根裏に隠れていた少女(エンドロール後にミニストーリー有り)

初恋の人であろうクラスメート

妹、兄、両親

「運命の人」(この表現は劇中とは無関係です)

 

クラスメートと淡い思い出が作られ、後の展開に悲壮感を加えます。

幼少期はあまり戦争中とは思えないほど(それを意識させないような)の展開が続き、それが転換されるのは、すずが成人し結婚してからです。

 

広島の呉からすずを嫁に欲しいと申し出る人から頼りが届き、「嫌だったら断ればいい」との家族からのアドバイスもあり、訪ねます。

その人こそ幼少期にあった「運命の人」です。

 

昔あったことを彼は覚えており(名前は子供のすずが着ていたモンペに書いてあった)

それを頼りに探し当てたのでしょう(純愛っていいですね)

こういうところは「君の名は。」と重ねちゃいますね(全く違うテーマですが)

 

そうしてすずも専業主婦としての生活が始まります。

現代アメリカ人が見たら発狂しそうなほどの展開が続きますが、その中で

結婚して子供もいるモダンガール(劇中でモガという省略形がでてきますよ)の旦那の姉がやってきて、最初はお局のような振る舞いをします。

本当は心優しい人で劇中でも最も素敵なキャラクターじゃないでしょうか。

 

どんどんときは流れ公式にもある昭和20年になります。つまり1945年です。

ここで戦争は激化していき、食べ物の配給は少なくなり、それでもすずは「間の抜けた」性格のままでいました。

 

初恋のクラスメートは海軍所属になり、すずのいる呉へやってきます。

どこかぎこちない夫婦生活を続けていた北條夫妻(すず)ですが、クラスメートの水原がやってくることで一転します。

 

よそよそしいすずがクラスメート相手には本音をさらけ出す姿を見て、旦那は嫉妬

しかし、彼は納屋で寝泊まりさせますが、すずに気を使い積もる話でもすればいいと二人にします。男ですね。信頼と不安を感じさせる表情で二人にさせます。

 

当然、男水原、差し出されたすずに手を出す!

「すずはやわいのう」

驚愕の寝取られ展開は劇中で確認してください。

 

さて日本の「あの日」がどんどん迫ってきます。年単位の展開でしたが、今度は日にち単位ですぎていきます。

 

途中で幼少期に出会った屋根裏の少女を町中で発見します。(お互いはきづかない)

立派な香水漂う遊女になっていましたが、刹那に見せる表情は物憂げです。

「こんなところは何度も来るところじゃない」

エンドロール後に屋根裏から遊郭までのストーリーがイラストで見れるので最後まで見ましょう。

 

呉にはほとんど空爆がありませんでしたが、ついに爆撃機がやってくる。

連日警報がなり、爆弾が落とされる日も増えていきます。

 

(絵を書く機会を失ったり、絵を書いただけで憲兵にどやされたり、旦那の姉の子供と遊んだり、軍艦を見たり色々表現がされますが、それらも素晴らしい)

 

そしてすずは最大の「喪失」を経験します。

さんざん「間が抜けていて普通だった」すずはやがて少しずつ変化していきます。

 

すずなりに強くなっていく過程は、ほんとうに悲しい。強くあらざるを得ない状態になっていくのです。

「いつまでも普通でいてほしい」とはクラスメートの水原の言葉です。

 

「あの日」が近づくにつれ、見ている側も非常に緊張します。

当然ですが、すずは「その日どこにいるのか?」ということです。

 

「あの日」当日までに紆余曲折を経てすずはそれを選びます。

判断の材料はいろいろあったけどそこを選んだのです。

 

やがて広島に「あの日」がやってきて、またもや様々なものを失います。

とくに「敗戦」に対する反応、旦那の姉とすずのリアクションの違いにも注目してほしい。

 

敗戦後さりげなく「あの旗」が掲げられますが、意味をめぐってネットでは大激論をかわされておりますね。

一歩ひいて見るのを推奨します。

 

その後は、あまり残酷な描写のなかった当映画で最大級のグロテスクな描写を直接見せます。描かずにはいられなかったのでしょう。

 

最初、その描写で出てくる親子の娘が、旦那の姉親子に似ていたので

今までの物語は彼女たちの夢?みたいに解釈してしまいましたが、まったく無関係の親子でした。

 

その内の母親は死にますが、娘はすず夫妻に拾われます。

戦争は終わりました。そして、街に明かりが灯り始める。

 

とても素晴らしい映画でした。21世紀的だなあと。

70年以上経ってようやく描けたのではないか。過剰に政治思想を持ち込まないで市民生活を描写しています。

 

ちょっとキャラクターが幼すぎて、大人なのに子供に見えますが。

絵の具と絵を重ねて空爆を描写する表現も素晴らしい。

それぞれの死の重さをほとんど軽い演出で感じさせるところも。

 

21世紀のホタルの墓の役割を果たすんじゃないか。

最近では広島や長崎あるいは沖縄などの持っている感情を無視する傾向がネット中心に出てきているように思いますが、そういったものを物語で補うことができるのではないかと感じさせる映画でした。

 

最後のまとめは公式から引用しましょう

 

「昭和20年、広島・呉 わたしはここで生きている」

 

9点 / 10点

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