この記事に深く考えさせられました。
大抵の人は同レベルの所得で友人関係を作っているように思う。
かくいう僕もそうだが、今後はどうなるかはわからない。
思うに友人たちの中でも並の収入の連中は、固定された友人関係を切らない傾向にあるように思う。その上で新しく出来た「普通の」友人たちを割合に大事にして、定期的に顔見せしたりしているようだ。
タイトルの余計な友人関係というのは、友達の友達みたいな知り合いだ。
僕は昔から友人を厳選して5−6人としか付き合っていない。
友人の友人として知り合った人で仲良くしている人は一人もいない。
なんだったら今まで仕事上知り合った人でも、能力が並の人であればやはり付き合わなくなった。
人生どこで何があるかわからないよ、という意見はわかるけれど、逆の立場で考えてみよう。
あなたは仕事を紹介したり、部下にしたい友人はいますか?
もし、この質問に当てはまる友人がいなければ、あなたは無駄な付き合いをしていることになる。意味があるかどうかだけが人付き合いではないが、必要な能力も仕事もない友人と付き合う時間をどれだけ取るべきだろうか。
ビジネスに繋がる友人関係以外は、基本的には制限すべきなのだ。
ところが、友人の友人範囲まで付き合いが広ければ出費も増えるし、時間も使う。
毎週毎週誰かとの飲み会でカレンダーが埋まっている人というのは、明らかに時間を収奪されている人である。(もちろんビジネスの付き合いは除く)
先ほどの質問をこう変更してもよいい。
あなたは友人たちから仕事を紹介したり部下にしたいと思われていますか?
もし友人たちからそう思われていないなら、やはりその付き合いは無駄かもしれない。ようするにビジネスとは無関係の付き合いをどの範囲で行っているかは注意しなければならないということです。
利害関係なく心許せる友人であれば2−3人かせいぜい5人もいれば十分でしょう。
付き合う回数も問題だ。いつも飲みに行く友人と、ひと月に何度も何度も会っていれば、やはりお金もなくなるし、話すことも固定された内容にとどまるでしょう。
時間は有限
誰もが知っていることでしょうが、この有限のものを何が収奪しているかを理解していない人は多い。もっとも時間を収奪するのは交友関係に他ならないでしょう。
だからこそある程度は厳選せねば再現なく時間が消えていくことになります。
友人がいない人は?それもかまわないでしょう。交友関係はすべてビジネスというのは最も合理的に思える。寂しくなければそれで問題ないはずです。
ただ楽しくやっていることがリスク、という風には大抵は思えないものです。そしてそれに気づいて意図的に制限を加えることは、他人より少し豊かな人生を送ることでさえも重要になるではないでしょうか。

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