こうして僕らは腐る

ロンドン留学生活、社会批評、英語勉強などの雑記ブログ

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キモくて金のないおっさんになってみてわかった絶望の本質

ロンドンに住んでますっていうと、「すごいですねえ」「うらやましいですねえ」と来るだろう?だが僕の今の生活水準はまさに貧困そのものだ。こんな生活10代終わりのバイト生活の時や、リーマンショックで仕事を失った時以来だ。

 

これって今話題のキモくて金のないおっさんでは?

(以下キモカネおっさん)

 

あの頃と僕の違いがあるとすれば、若さだろうか。何年も年をとった。僕はどうせ半年程度のことだから、英語を覚えてステップアップするためだからと思い込むことで凌いでいる。だが、これがもし延々と続くと仮定すれば?僕は背筋が凍るような感覚に襲われるのだ。

 

自己責任論や、エマ・ワトソンの演説に対する反発や、フェミニズムやら乱雑な議論が展開されており、混沌としている。彼らは非モテや彼女がいないことなどを争点にするが、それは問題を矮小化しすぎな気がする。

 

キモカネおっさんの絶望の本質とは

永遠の軽蔑と何一つ手に入れられないという未来にこそある。

 

もともと男社会とはバリバリ働いて金を稼ぐ人間が尊敬される。金がなくても女を引っ掛ける男も世間体はともかく羨ましがられる。若ければ何もなくとも許される。だが年をとり金もなく、能力も家族もないなら男性からも女性からも社会からも軽蔑を向けられるのだ。

 

年をとると、脳みそも肉体も衰える。未来はドンドン短くなるし、何かを始めるにしても若者以上に苦労する。仕事は簡単には変えられないし、環境を一新するということを一つとってもリスキーだ。30-40代にもなれば親の致命的な病気や介護なんかも出てくる。ありとあらゆる環境が束縛を始めるのだ。

 

もちろん若いうちから努力しないやつが悪いと切り捨てるのは簡単だ。女性なら家事手伝いやパート務めが男性よりも許されるところがあるが、男性は昔ながらのシビアな社会を引きずっているため、自己責任論が幅を利かせやすい。

 

衰える一方の自分を抱えながら、社会は不況から抜け出せそうにもない。世間の上昇につられるのを期待することさえできないのだ。エマ・ワトソンは男らしさから開放されるべきと主張するが、それは難しいところだ。

 

成功した男たちがそれをひけらかすことを誰が止められるというのだろう。(僕もそのような振る舞いをするだろう)女性だって金持ちや成功した男を尊敬するし、息子にも成功や良い人生を望むじゃないか。失敗したままでいいよ、などと誰も慈悲を与えちゃくれない。

 

年をとればとるほど上昇する可能性はせばまり、ボディブローのように社会からの軽蔑や自分の不甲斐なさを味わうことになる。現状維持さえ覚束ない。

 

男らしさの開放とは、勝者を褒めない世界そのものじゃないか。少しでも良い物を持っている男が常に褒められる社会なのだから、何一つ持たない人は当然、尊敬されない。

 

男性社会はそれが顕著だ。打ち崩すことも不可能のように思う。特大の成功者でなくても、小さな成功を収めた人や、収入が少しでも高い人、見た目の良い人はそれ相応の良い目を見る。

 

キモくても金がなくても放っておいてくれ、といったところで社会は際限なく軽蔑と批判を向けてくる。それこそが、精神を蝕むのだ。

 

「男らしさから開放されていいのよ」というコインの裏には

「では成功者以外にも慈悲をくれますか」という刻印がある。

 

「それは違う」と言われるなら、永遠に男社会からは逃れられないだろう。

 

成功こそが男の本質なんだから。

 

 

とまあ、食生活が貧弱で英語勉強以外することがないと、このようなネガティブな長文を書きたくもなるわけで。

 

英語覚えて日本でも海外でも働いてガッツリ稼ぐぞ、と思った次第である。

 

エマ・ワトソンには悪いけど自分は男らしさの世界で生きようと思う。

 

開放など死ぬまでない。

 

 

参考

miurayoshitaka.hatenablog.com