こうして僕らは腐る

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松本人志的な教養のない関西人(大阪人)は政治的な発言をしないほうがいい

90年代のダウンタウンと言えば、圧倒的人気で子供から大人まで知っているお笑い界の頂点だ。今の若者はもうその時代のことを知らないらしいと聞いた。知らなくていいと思う。

 

ダウンタウンデラックスやHEY!HEY!HEY、ガキ使などモンスター級の視聴率があってある年代にとってはまさにレジェンドだ。僕もよく見ていた。

 

さて最近では最も嫌われている芸人はダウンタウンだそうで、Twitterなんかでも松本人志老害ぶりと時代錯誤ぶりが叩かれている。

 

僕も好きじゃない。

 

大阪で生まれ育ったものとして心苦しいことがあって、無教養な関西人、主に芸人が割りと政治的な発言をして、しかもただただ無教養を晒すだけの発言をするので辟易している。

 

いつからかはわからないけど芸人として人気出た関西人が政治的な発言をしようとするというのは芸人人生のテンプレートのようになっていて、近年でもご意見番的ポジションを担おうとする芸人は後を絶たない。

 

問題なのはだいたい彼らの教養がないことにある。

 

もともと大阪のボケ・ツッコミというのは他県から見て、非常に強い言葉でされる。

「なんでやねん、どないやねん、あほちゃうか、ボケカス」など

ネタの内容もイジリ(ともすればイジメ)、自虐、下ネタと品性下劣なものも多い。

 

貧乏は貧乏を、ハゲはハゲを、デブはデブをネタにする。

「お前ブッサイクやなー」みたいなコメントは誰でも聞いたことがあるはずだ。

 

大阪の芸風というのは教養やポリコレとは無縁だ。

だが、関西芸人達のお笑いレベルは高いからこそ今でも東京のキー局から大阪弁の声が聞こえてくるわけだ。

 

そんな中で、大人気が出た人たちのなかから政治的な発言をしてやろうとする人が出てくる。彼らは世間に物申す姿勢と、教養人として見られたい自己顕示欲なんかも相まって「すべってる」感が半端なく、いたたまれない。

 

ビートたけしが唯一、芸人から文化人として認められたからか、そういうモデルを目指しているような人が見られる。松本人志筆頭に。

 

過去を振り返っても横山ノック西川きよしなど実際に政治家になった人もいる。

(きよし師匠は許された)

 

文化人、教養人きどりの関西芸人はだいたいろくでもないのが多くて、松本人志、ウーマン村本、桂ざこば、後は芸人風の橋下徹元知事とかね。

 

関西の方言がきつい、直球とあって政治的批判もどストレートできつい。面白おかしくできる技術があればいいが、不快になるだけの発言も多い。漫才やネタなら滑ってるで、ということで反省もするのだろうが、政治的な発言の場合は「俺の意見や!ドンドン発信するべきや!」と譲らない人も多い。面の皮も厚い人たちだから何度も繰り返す。

 

アメリカでもイギリスでも政治的な発言をするコメディアンはたくさんいるが、差別につながることなどはしないし、「センス・オブ・ユーモア」というものがある。

 

知性を重んじる文脈と、レイシズムなどの発言に対してはクビも辞さないTV局の矜持もある。

 

そもそもが大阪の芸風と知的なユーモアというのは相性が悪すぎる。直情的で失敗するとただ人を傷つけるだけになってしまう。

 

最近ではそれをわかってか、ただ普通の政治談義を繰り広げるだけの真面目腐った芸人もいるけど、そのほうがまだマシかもしれない。なんせただ面白いだけよりもネタを絡めた政治談義は高度な技術が必要だ。

 

だけど、それをできるような芸人というのはいないように思う。彼らは圧倒的に勉強しないし、米英と違って勉強ができる人が面白いことをやるというような国家ではない。

 

教養もユーモアもあるコメディアンだけがのし上がれるほどの競争はこの国にないし、そもそもテレビではそれを要求されていない。

 

僕は関西弁で彼らが失言をするたびに恥ずかしい気がするし、英訳しても絶対受け入れられないんだろーなあといつも思う。

 

おまけに彼らは自分たちが言わないとダメだ!みたいな正義感もあって、その気持はいいけど、有名なバカが発言するとバカの意見がスタンダードになって政治情勢は悪化するということも気づいて欲しい。

 

ユーモア、ウィット、閃きみたいなのが絶望的に足りていない。

 

知性ない著名人は勉強をきちっとするか、言葉には注意を払ってユーモアを大事にして政治的発言をして欲しいもんだ。

 

 

 

一九八四年 (ハヤカワepi文庫)

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