フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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IT業界は日本社会の縮図となっているんだよ

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僕も住人たるIT業界

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弱いSE、強いSEという視点で説明しておられる。

僕は経営と日本社会という視点で見てみよう。

 

この業界にはもう10年近く住んでいる。21歳で学もなくブラブラしていた僕はオンラインゲームの世界にいりびたっていた。当時は今ほど常時オンラインでゲームすることは一般的ではなかった。今ほど便利でなかったため、必然的に多少のITスキルは身についた。例えばゲーム操作をしながらチャットする必要があるためPCでのタイピングは速くなったし、攻略法をネットで調べるという検索力なんかも身についていた。そのため僕は親にどやされてアルバイト生活から正社員になる時、IT業界を選んだ。

 

理系の学位などもない僕は、超文系のプログラマ見習いから始めることになった。いわゆる弱いSEである。入った会社はIT業界歴の長い人たちで独立した数名程度の常駐会社で社長以外はエンジニア。彼らはそれなりのスキルと信頼を得ていた人々なので売上は安定していて、そんな中で若い人も採用しようとなり採用されたのが僕だ。

 

タイピングと検索する力以外はほとんどスキルのない僕は全く別世界に来たようだった。最初に行った現場は忘れることもない。非常に非常に安い単価で新人も素人もOJTと称して受け入れる、零細SIer的な請負会社だった。

 

社長は手っ取り早く僕を育てるためだろう、現場に放り込んだ。僕はそこで弱いSEとはどういうものか知った。そこにいたのはほとんど僕と同じような人たちで、2-3年目の人たちと新入り、それなりに5-6年ぐらいは経験しているだろうPMなどで構成されていた。

 

経験者は何もわからない新人達を教えながら安い給料で開発も行い、新人たちは何もわからないながら夜遅くまで開発をしているような、今思えば地獄のような場所だった。その開発会社の名前はもう忘れてしまった。なんせIT業界の請負系の会社はアルファベット3つとかでつけられることが多く全然覚えられない。大した会社でないので覚える必要もないのだ。

 

僕の会社の社長はタダでもいいから経験を積ませたいということを言っていた。僕の初任給は19万だった。今の僕はその地獄の開発現場にいた連中よりもスキルを身に着けてこの業界で生き残っている。

 

僕はこの業界でしか生きていけないだろう人間だ。フリーランスになって3年目、人手不足も相まって仕事に困ることはなくなった。強いSEになったと言えるかもしれない。半年ぐらいイギリスに行くぐらいのお金も貯めれたし帰ってきても待っていましたと言わんばかりに仕事を投げられるぐらいではある。

 

だが少なくとも会社員時代の僕は単価も取れずに残業ばかりする弱いSEだった。

 

だが今思えばその状況は仕方ないのかもしれない。元々欧米ではエンジニアはちゃんとした教育を受けて学位を持った人しかなれないし、スキルがなければ直ぐに首を切られるような仕事だ。大学中退していてもOSSコミュニティで活躍したり、ベンチャーを立ち上げて成功する者もいるが、まともな給料は学位とキャリアに対して支払われる。

 

日本は僕のような高卒さえも入り口から堂々と入ることができ、なんだかんだでお金をもらって経験を積める丁稚奉公的なところがある。その代わりほとんど人権のないような仕事環境で数年耐えることを強いられる。それが弱いSEの立場だ。

 

だが5年も経験積んでサーバー周りからコーディング、DBをある程度扱えるようになれば仕事に困ることはなくなり、フリーランスになれば一人親方的仕事ができるので割りといい業界だと思っている。寿司職人や土方的なもんだ。これも専門性を軽視する日本企業がたくさんいるから、比較的安い予算でとりあえず動くソフトウェアを求める世界でやっていけるということなのかもしれない。

 

まともな給料と仕事環境の代わりにコンピューターサイエンスの学位を取ることが義務化され、能力がなければクビを切られる欧米社会がいいか、ブラック非人道会社で経験を積み生き残ったものだけが良い生活ができる日本社会がいいかの違いのような気がする。

 

日本社会は派遣会社が多く、馬鹿みたいに中抜きされ、つまらない営業マンが社長を名乗って安さで仕事を取ろうと適当な契約でITの知識もなく会社を運営しているような国なのだ。それこそが戦後の伝統的日本って感じじゃないか。経験を積んで、その螺旋から抜けだせば悪くない生活も選べる。

 

弱いSEに甘んじるのは弱いから悪い、という意見を僕は理解できてしまう。そもそも日本で弱いエンジニアに甘んじているのは欧米だとタクシーの運転手でもするべき人だったりするからだ。21歳のころの僕はまさにそうで、そもそも門前払いされるような人間だったように思う。

 

SEなどというのは本来なら理系の優秀な人間が志望し、高級を取り花形職として気取れるようなものであって、日本のSEというのはそれらとは違っているように思う。だからブラックとは言え経験を積めた僕は、今ひとつ日本社会の愚かなIT業界を嫌いになれなかったりする。

 

もしあなたがコンピューターサイエンスの学位を持ってブラック企業で働いているならさっさと転職するほうが良いとしか言いようがない。ブラックSIerは学位持ちの素晴らしいエンジニアが働くべき会社ではないからだ。

 

僕はブラックが専横する日本社会でなければ、エンジニアを名乗れず皿洗いや工場勤めとか、介護とかで食いつないでいたかもしれないと思う。

 

丁稚奉公的な日本社会が今の僕を作り、そしてそれ以外の業界の2倍か3倍のお金をもらえている豊かな環境を作ったと思えば、弱いSEはあまり声を上げないほうがいいんじゃないか、と考えてしまう。

 

日本の弱いSEはエンジニアになれないというのが世界の基準のように思う。働く前にちゃんと学位を取れよ、と。

 

もちろん、ブラック薄給でこき使って経験主義の日本だからこそ、ソフトウェアに対する信頼というか地位のようなものが低いのかもしれない。アメリカではエンジニアは花形高給職だ。これは頭の悪くコンピューターサイエンスの知識の欠片もない人々を最初から排除してきた結果だと思う。そんなアメリカではコンピューターサイエンスを叩き込む学校なんかも流行っていて、素人はまずそういったところに高い学費を払って勉強する。

 

弱いSEの人たちに言いたい。

もしそんな社会になってもいいと言えるのか?、と。

僕が見るに弱いSEの人達は過去の僕も含めて、エンジニアとしてはふさわしくない人材ではなかろうか。

 

僕はアメリカ式が正しい形だとは思う。だけど弱いSEをこき使う地獄の日本社会があったからこそ、僕自身のもう一つの貧しい人生を避けられたんだなあと思わずにはいられない。

 

能力もなく、良い環境、良い給料をもらうというのは望めまい。ソフトウェア開発は高給を取るべき職業だが、能無し学なしが入れる世界では本来ない。

 

弱いSEと、派遣会社と、専門知識もない経営者を全て消しずみにしろ、というなら僕はそれは正しいと思う。だがそれは日本的IT業界の有象無象が消滅し、それらはタクシー会社、飲食店や介護職になる社会でもあると思う。

 

【追記】

弱いSEを読み違えているという指摘があった。ここではアメリカ式の学位前提社会なら、エンジニアはシュレッダー係に回されることなどないということを書いた。アメリカ式なら雑務係を別途雇うので、雑務をさせられる弱いSEなど存在しないということだ(学位=仕事)。

 

タクシーやら介護に対する視線が良くないという指摘もあった。確かに。気分を害されたなら申し訳ない。とはいえ介護やタクシーはどの国でも言葉のわからない移民ができる仕事という意味で引き合いにだした。そして大抵は貧しい。

 

なんにせよ日本式IT業界が受けつけないのであれば、やはり仕事を変えた方が幸せになれるように思う。

 

もしまともな勤務体系と職務を保証しろと声を上げるならば、経営側とて期待の能力と仕事ぶりを要求するだろう。現状は人権なしでこき使えるから学歴経験に目をつぶっている。そこの改善をするならば、欧米的学位社会になっていくというわけだ。もちろんそれがまともな社会というのは言うまでもないだろう。