フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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自分を置いて他人が幸せになっていく世界を許せるかい

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前回エントリーがちょっとだけバズった。

リアクションがあると思うことが増えるね。

 

多様性を許容せよ、という世の中になっていってて良い傾向だ。だが僕はその多様性のある社会でさえ格差ができていくんだなあということを目の当たりにしている。

 

そこで思うのだ、昔より良くなっていくのに自分の扱いはあまり変わりないという現実をみんなは受け入れているのか、と。LGBT内でも美しい人は似合うともてはやされるが、ブサイクだと今までどおりみたいな。

 

LGBTはまだマシというか、今まで全員が気にもかけられない社会だったわけだから、少しずつ前進するという未来が見える。まだ始まったばかりの潮流だしね。

 

これが貧困問題なんかだったら目も当てられない。今まで貧乏だった100人のうち20人はそこから抜け出すチャンスが与えられます。しかし予算の都合で残りの80人は今までどおりよろしく、みたいな。

 

発展途上国なら周りが豊かになっていくからいずれ自分も、という希望が抱ける。現実に1日1ドル以下で暮らしている人々はどんどん減っているようだ。残念なことに、発展途上国と違って待っていたら生活が落ちていくのが今の日本ではあるが。

 

実際問題としてネットでは露見している。生活保護バッシングが最もいい例かもしれない。人間的文化的に最低限の暮らしを確保するというのは憲法に規定されているため生活保護も存在するが、これの切り下げが止まらない。これは世論の後押しがあっての話でもあり、政府と世論は共犯関係にある。

 

最近は精神疾患方面での金銭支援も打ち切られる方向にあるらしい。生きづらい人と生きられない人の間には深い断絶がある。生きづらいだけの人は支援なしでもやっていけという政府のお達しである。腕がない人と腕がしびれたりして不自由な人との違いとでも言うものだろうか。

 

今ネットを中心にかつてないほど人権意識が高まっているようだが、それに対して現実は逆方向というか、限界を露呈している。

 

発達障害を吐露する人たちがたくさんいる一方で、財政難から福祉はシュリンクせざるを得ないという状態だ。さまざまな症状が研究によって細分化され理解した人が福祉を要求するケースは増え続けるのに、それに対応するだけの予算も人もいないということ。

 

発達障害ADHDがおっちょこちょいな人だとかノロマとかの認識だった時代は、社会は気にせずにいられたが、病名がつけられそれに対応策が進歩すれば、誰だって希望を見出す。ところが社会のシステム改善は牛歩で、福祉予算はカットときている。本当は救われたのに、と思う人がいても不思議ではない。

 

とはいっても、その人権意識と対策の発展によって救われる人もでてくるわけだ。それを横目に自分は救われない、受け入れられない社会で生きねばならぬ。

 

ごく少数の人が改善される一方、自分は待つばかり。という人たちが、生きづらさを抱えて日々をしのいでいる中で、生活保護を受給できる人たちを叩き出しているようなところがある。自分は苦しいのになんでお前ばっかり、というわけだ。

 

日本の弱者は上じゃなくて自分より下や同じレベルの人たちに敵意が向くようだ。だがそれは防衛ラインを自分から破壊する行為にすぎない。

 

 

だから貧困でも、少数派でも誰かを許し、幸せになる姿を認めなければならない。

 

自分以外の誰かが先に目的を達成しても、素直に苦しみから抜け出せておめでとうと言えねばならない。

 

そうでなければやがて自分の立場を追いやるだろう。

 

 

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