フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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その土地でやって行くという覚悟

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金曜日の夜に長期出張から帰ってきた友人と飲んだ。長期と言ってもせいぜい1ヶ月ではあるが、僕と昔ながらの友人数人とは1-2週に1度は会って飲むので、1ヶ月会わないというのは中々珍しいのだ。

 

遅い時間から飲んで、終電を逃したから友の家で泊まることにした。ベルギーブラジル戦を見てから寝ることにしたが、友人はキックオフ頃には寝てしまっていた。

 

昼頃に起きて飯食って夕方に帰るとか恋人かよ。少し我に返るとこの頃の週末の使い方がイマイチで、なんだかなーと思うことが多い。土曜日にバイクに乗って龍神温泉にでも行こうかと思って日曜にするべき予定を詰め込んだが、全国的にこの豪雨である。

 

やることもなく結局家でスマホいじって寝るという程度の時間の使い方になってしまった。最近になって思うことがある。

 

イマイチな週末を過ごしてしまうのは、この土地でやって行くという覚悟がないからだ、と。僕は将来大阪に住み続けるのだろうか。もっと言えば、大阪の今の地域で死ぬまでいるのだろうか。ここではないどこかへの憧れがあって、それがイギリスであったりアメリカではあるのだが、移住ということを考えると今の土地にたくさんの交友関係やモノや会社や土地を持っておくのは疲れるのではないかと思う。

 

やがて手放したり整理したりしないといけないので持とうとはしない。持とうとしない人生は楽ではあるが味気ないのだ。大きなものを持つというのは日本人の基本的な考えである。

 

例えば家を買うというのは典型的なゴールの1つだ。それを持ってしまうと当然死ぬまでそこにとどまり管理するしかない。値段は家に比べて安いが、車なんかもそうだ。200-300万する新車を買ったなら趣味でないなら10年は乗りたいだろう。ローンを組んだなら払い続けなければならない。その他法人を作ったり、家庭を持ったりするとその土地に縛られる。

 

僕はその覚悟が30代にもなっても持てないのだ。常に誰かと一緒にたり、失敗も成功も噂されるという環境が我慢ならない。しくじって移動できずその土地でひどいことを言われたりというのはつらい。傷つけられるくらいなら何も必要ないという精神はいかにも陰キャだが、陽キャな人々はかなり若いうちからこの土地でやって行くみたいな覚悟を持って家を買ったり車を買ったり、家庭をもったりしていてどういう精神してるんだろうと思う事が多々ある。いや、彼らはあまり考えていないのかもしれない。

 

それができる人とできない人の差はおそらくは1つだけだ。

 

自分の可能性を外に広げれると思いこんでいるかどうか、ということ。

 

つまり自分が大阪以外でやっていくという想像がつかない人達は、ごく平凡にその地域で暮らすということをしているのみだ。そして部屋が広い方がいいとか持ち家の方がいいとかの願望がでてきて自然と家を買う。自動車を持っている方が効率がいいから持つ。その程度のことだ。そもそもアメリカで暮らすとか、東京に移住するとかの可能性がない。

 

僕のように大阪以外の可能性を心に宿しているタイプ(実現できるかどうかはわからん)は大きなものを保有して維持するということができない。

 

特別なバイタリティのある人は法人も家も持って、さらに移住もするという人がいるかもしれないが、僕の能力のキャパでは不可能だ。なのであまり大きなものは持たないようにしようと心がけている。だが大きなものを持たないという方針は、小さな生活を繰り返すということに他ならない。これが時折無性に虚しくさせるのだ。

 

家庭も家も持った仲の良い友人がいるけれど何だかんだで幸せそうに生きている。抱えこんでいるという感じじゃあない。もっと時間が経てば辛くなる時もあるのかもしれないが。

 

僕は自分の持ち物を抱えないように注意して生きているが、それだからこそ味気ない日常なのかもしれない。一人で美術館に行くより、子供と行けば大変だがやりがいのある日常を感じれるだろうな、と思う。

 

一方僕が家庭や家まで持つというストレスに耐えられるだろうかとも思う。何にせよ、30代の半分をロンドンで過ごすことになるかもしれないということもあって、手放しづらいものを持たないようにしている。

 

大きな何かを所有するために頑張るというのは結構素敵な人生なのかもしれない。

30代になって戸惑うばかりだ。