フロイドの狂気日記

いつ走り出すか誰も教えてくれなかった、お前はスタートの合図を聞き逃したんだ!

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妄想に苦しむ

妄想するのが好きだ。

昔から好きだ。

 

ネットでは日本人の共通妄想として「学校にテロリストが乗り込んでくる」みたいな展開が知られている。僕は最近でも勝手な妄想にふけるのだが、かっこよかったり都合のいいものではない。

 

だいたいが失敗して詰められる妄想だ。とは言え会社の人に怒られるなどの小さな話ではない。例えば何か大きな発明をして、それが悪用され大量の死者を出す。その結果、マスコミに吊るし上げられたり、正義感に狂った大衆に叩かれるというような妄想だ。

 

これはその時々によって立場は変わるが、最終的には大衆とメディアと大量のカメラによって叩きのめされるという筋書きである。

 

共感羞恥という言葉がある。誰かが恥をかいている様子を見て、自分まで恥ずかしくなるという状態のことを指す。僕は共感恐怖とでも言うべきものに悩んでいる。

 

例えば2018年ワールドカップにおける日本代表のキーパー川島なんかにそれを感じている。彼はプレイが良くないということで日本中から戦犯として叩かれている。試合を見ていて彼のプレイにうんざりはしていたが、こうなると可哀想である。良い結果を残して自信満々に帰国する日本代表の中で彼だけは許されていないところがある。

 

そういうのを見ていて、妄想の中で彼と僕を入れ替えて想像する。そのカメラのフラッシュや手厳しい世論に詰められる自分を想像する。それだけで苦痛を味わうのだ。

 

もちろん、現実の僕は毎日同じルートの電車に揺られて、同じ時間に会社に出てきて働いて同じような時間に帰ってささやかな休息を楽しむだけの小さな人間だが、妄想の中で極めて大きな存在になって必ず失敗し、現実で頭が痛くなるほど苦痛を感じる。

 

馬鹿げたことだが、どうやらその状態がこの頃続いている。暇だからかもしれない。あるいは災害続きでその責任の所在を求める声が大きいかもしれない。増税を前にして世代間の格差に苛ついている人たちの意見を見すぎたからかもしれない。

 

世間や社会がありとあらゆる話題に求めている、誰かの責任にして叩きのめすという情勢が延々と続いていて、僕のささやかな妄想のシチュエーションも汚染されているきらいはある。あるいは最近読み直しているジョージ・オーウェル1984のせいかも。

 

このように分析したところで、自分自身が創り出す想像で苦しむという滑稽な日々が終わりそうにないのがつらい。

 

この辛い妄想にふけるというのは個人的な問題だが、明るい話題とか明るい未来がなくなるということは、もっと深刻な社会に対する負のインパクトがあるのではないかと思う。暗いニュースばかりの社会が人々の精神に与える影響はあるのではないか?と思ってみたが、こればっかりはどうしようもないし、まずは自分が精神良好に生きていくことが肝要なわけだ。

 

いいニュースねえかな~