ジョージ・オーウェルが戦後間もない1948年頃までには書いていたSF小説。
数年前に1度読んで衝撃を受けたのだが、最近kindle版が出ていた事に気づいて購入しておいた。あらすじが読みたいならwikiを開けばいいが、とりあえず読んでみてもいいと思う。
一党独裁の監視社会となったイギリス(というより、イギリスを含むオセアニアという地域)で、歴史をひたすら改変する作業をする官吏のスミスの日常の物語だ。ジョージ・オーウェルは「動物農場」という小説でもソ連のスターリンをモチーフにした社会を書いていたりして、ソ連や独裁国家について小説で見事に表現している。
現在で言う監視カメラのテレスクリーン(スクリーンには映像も表示されるのでSkype的なものでもある)だとか、存在不明のレジスタンスリーダーである、エマニュエル・ゴールドスタイン。まずそうだが飲んでみたくなるヴィクトリー・ジン。そしてあらゆるものを監視する独裁国家の象徴、ビッグブラザー。誰もが恐れる部屋101号室。真理省、愛情省などの邪気眼ネーム。新しい言語であるニュースピーク。愛しながら憎むなど矛盾をはらんだ二重思考。とにかくギミックが優れていて中二心をくするぐる。
その中で党に対して反発心を抱く奔放な美女ジュリアとの出会いと、党に対しての反逆とも言える生活。そして破滅。見事な展開で読者の脳みそを揺さぶる。
2度目だったが、スミスが捕らえられて以降は緊張したまま読んだ。逆にその他の部分は読むのに時間がかかった。1度目に読んだときはその空気感が好きだったが、その後の展開がわかっていると魅力が少し色褪せる。だが党やイデオロギーについての設定も凝りに凝っていて優れた作品なんだと思わせる。
ジョージ・オーウェルが想像したよりもはるかに、現代のテクノロジーは進んでいる。テレスクリーン以上の性能を持った機械はそこらにあるし、人の表情さえ後から完全に書き換えることができる社会となった。スミスは歴史を修正し続けたが、現代では誰も信じたい歴史を信じているし、ネット上に修正された歴史を誰の命令でもなくバラまいている人たちがいる。
一党独裁による監視というよりは、各個人がそれぞれを徹底して監視しているような世界となった。1984の世界でも党に洗脳された人々が密告の機会を伺っている。それは失言などで炎上させて失脚させようと目論む現代人のようでもある。
1984でもビッグブラザーは姿を見せていない。物語の中でも妄想なのか実在かはわからない。そして現代社会でもビッグブラザーがいるかのように人々が振る舞っている。ポリコレだとか人権などがあたかも主人であるかのように人々の行動を定義して、逸脱を許さぬ空気感を出している。まずくて安いビクトリー・ジン的な飲み物も溢れているしね。
そう考えると情報アクセスの自由も移動の自由もあるけど、ビッグブラザー的な何かに支配しているかもしれないなあなんて思ったりするのだ。
追記
なぜ僕がこれほどまでに1984を好きか、朝起きて理解した。まず主人公が冴えない中年なのだが、理知的で世界を疑っているということだ。世の中には体制や社会に組み込まれることを何の疑問もなく生きている人が多い。だが片方でこんなクソみたいな現実はいつかぶっ壊す人が現れるさ、みたいな考え方を持つ人もいる。本作の主人公ウィンストン・スミスは後者の独裁世界を疑っている人だ。
そういう冴えないひねた中年が、ある時ジュリアという美しい若者に出会う。しかもそのきっかけが相手からの不意の手紙である。そうして恋人のような関係になるというのも、悲しいかな中年にささるのだ。奔放な美女が自ら普通の中年になびくというのは、最近の軽薄な小説にだってありがちだ。
スミスは独裁国家に対して反旗を翻す活動をするために尋常ならざる決意を持つにいたるが、それが結局の所、徹底した拷問の末に体制側に取り込まれるというのも中年あるあるだったりするのだろう。20-30代くらいに僕らは1度くらいは会社や世間に反発する経験を持つが、年をとると様々な事情から体制に迎合的になる。結局今の生活を営んでいくしかない。それには1人ではどうにもならない。社会に反発しても特にならない。そういった諸事情から平凡な日常を過ごすことに疑問を抱かなくなる。
そういったところが中年になった僕の心を捕らえてやまないのだろう。
- 作者: ジョージ・オーウェル,高橋和久
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2009/07/18
- メディア: ペーパーバック
- 購入: 38人 クリック: 329回
- この商品を含むブログ (352件) を見る