フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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フェミニズムとポリコレは映像作品をつまらなくするか

 

ウォーキングデッドを見ていて思うのだが、アメリカのハリウッドは大なり小なりポリコレやフェミニズムの影響を強く受けるということだ。ウォーキングデッドに関して言うと以下のような展開の自主制限を設けているとみていい。


・乳児の死亡シーンを出さない。
・児童が人間に殺される描写を避ける
・女子供の性奴隷を描写しない。
・女性を弱いものとして扱わない。
・主要キャラに黒人を複数残しておく


ウォーキングデッドとはゾンビだらけの世界になり、軍やインフラが機能しなくなった社会がテーマだ。
そこで繰り広げられるサバイバルドラマが売りなのだが、上に書いたようなものは避けられている。


一つずつ見ていこう。
ウォーキングデッドでは乳児自体がほぼでてこない。
主人公のリックにはゾンビ世界になった後に娘が生まれるが、どれだけ危機的になっても、娘自体はすくすく育って特にひどい目にあうことはない。
病院が壊滅していて予防接種さえ受けられないが病気にならずに成長している。


2つ目は子供の扱い。児童キャラ自体は複数いるが、たいてい死ぬときはゾンビが原因である。
人間同士の対立も見どころの一つだが、児童が頭を勝ち割られて死ぬということはない。
行方不明になってゾンビとして発見されるみたいな展開での死が多い。
もしくは死体で発見される。人間が殺したということになっていても、直接的には描写されない。


3つ目は性犯罪描写の皆無さである。語りとしては、親子がギャングにレイプされたと発言するキャラがでたりはする。
治安崩壊後真っ先に横行するのは性犯罪だろうし、歴史を見れば性奴隷の制度化は原始的な社会では避けられない。
メインの敵キャラだったガバナーというキャラのグループや、その後のニーガンと名乗るグループも女性の扱いには紳士そのもので、荒くれの指揮をとりながら、性犯罪についてはきちっとコントロールされている。
突発的な殺人は起こるが敵対グループに対する性暴力は描写されず、奴隷制度などはない。


4つ目は戦闘の役割について。敵味方問わずたくさんの女性が銃を扱い戦う。
序盤で旦那のDVにめそめそしていたキャラが後半には作中屈指の強キャラおばさんと化し、ゾンビだらけの世界で単独抜け出して味方がピンチになると戻ってきてはヘッドショットを決めまくったりする。


元軍人などはわかるが、普通っぽい女性も足手まといとしては描写されず屈強な男どもとも戦って勝つこともしばしばある。


最後は黒人の取り扱いである。
アジア人自体はそうでもないが、黒人に関しては相当数役柄を確保していて、誰かが死んでも誰かが主要キャラとして存在するということになっている。
日本刀を持つドレッド黒人女はついに主人公の恋人役になることにもなった。
イカップルの活躍も描かれる。


こういう自主規制を制作グループはとっているが、そのせいで展開の幅を狭めている。
乳児を殺すわけにはいかないから、生物兵器や病原菌の散布などは使えない。
子供が生まれる前にインフルエンザが流行ったというストーリーはあるが、その後は病気はテーマにならない。


児童は直接的な殺人を避けられているので(子供が大人やゾンビを殺すのはある)
子供がピンチになっても、死なないかゾンビで発見されるかだろうなあと予測できる。


性暴行はほぼ存在しないし、ニーガン編ではリーダーがわざわざ女をレイプするな的発言をして戒めている。
そんなわけで、荒くれどもは食料確保以外での暴力はほぼしない。敵を殲滅するだけの殺人マシーンになっている。
殺人だけが目的のサイコパス集団なんかは出てきたが、キャラ立ちができないのかすぐ消えた。


4つ目の黒人の数と役割はバランスをとるというところから、まだこのキャラは死なないだろうな、という予測が立つ。
逆に新しい黒人キャラが出てきたら誰かが減らされるフラグでもある。


この展開は使わないと決めていることから、人間らしくない人間集団ドラマになっているのがウォーキングデッドの現状である。


展開にバリエーションがなく敵が妙に紳士的であるからマンネリ化しやすい。


高度な政治をやるとか、性奴隷を確保する、白人だけの村づくりをする、児童売買、ゲイ殺しとかはできないので、食料と家確保のために敵を殺すだけの繰り返しである。


本来なら理性と法で禁止されていることが政府崩壊によって引き起こされるはずだが、ウォーキングデッドに関しては
極限状態でも性暴力と児童労働やアンチ黒人・LGBTを封じ込めているので、思想が理由の暴力が存在しない。
欲に関しては食料のみに向けられるという不自然さである。宗教による団結グループもない。


最近の米ドラマは犯罪テーマでさえ、LGBTフェミニズムに気を配っている感がでてきてそれ故に展開が読めたりする。
ポリコレに反する展開はしないだろうな、だったらこの先の展開は決まりではないか、という推論が成り立ちやすくなっている。展開の可能性をつぶす行為は、それだけワクワクする可能性をつぶす。


結果としてゲイや黒人を優遇する展開があったとしても、そうならない時もあるという可能性こそが視聴者を予測不可能にさせる。特に長丁場のドラマでは。残念なことに表現の自由は既になくなっていて、自主規制によって初期は楽しかった作品も長く続けばあたりさわりのないストーリーに落とし込まれていく。


そんなことを考えると、作品に制限をかけざるを得ない世の中ってつまらんと思うよ。