フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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リーマンショックの思い出

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2008年に全米から広まったリーマンショックから10年経った。
世界的に不況になって、当のアメリカでは家を失う人が後を絶たなかったそうな。
僕の経験によると、2008年当時は日本に影響がでてなかった。
その時の与謝野馨大臣は「蜂に刺された程度」と言っていたが、2009年からは大幅に就職難となった。
2009年-2010年は知らざれる氷河期となった。二年と期間が短かったのであまり気にされていない。


僕は2010年の前半には会社をクビになった。
というのもソフトウェア開発の仕事がなくなり、特に経験3年未満の若者は競争が難しくなった。
単価もとれないだけでなく、仕事そのものが少ないからだ。
大手のシステム改修などの仕事は凍結されまくった影響だ。


僕はそれから半年以上、無職であり続け、単発的なバイトなどをこなしていた。
年明けごろに就職が決まったと記憶している。
その時の記憶は辛いものだ。とくに派遣のバイトはそこにいる人種の粗雑さも相まって精神に堪えた。


悪名高いAmazonの倉庫バイトをしたこともある。
僕も質のいい人間ではないが、そこにいる人の質というものは別方向での悪さがあった。
彼らは歯の治療よりも風俗とパチンコを優先するタイプの人種という意味で僕とは価値観が合わなかった。


他にも荷揚げ屋のバイトもした。マンションの壁材のパネルなんかを配置する運びやさんである。
これはとてつもなく重いものを運ぶので、現場で「デキるやつ」と評価を受けるのはシンプルに体力と力のある男だ。
それは原始時代のような価値観で、そこにいる人たちはヤンキー系が多い。
これもまた僕の心を叩き折った。こういう世界では生きていたくないと強く思った。
そのためIT業界に必死で戻って、今もしがみついている。


いずれのバイトも給料はとても安いのだ。クリエイティブもなく、金もなく、将来もなく、人間関係もよくない。
どうしたらこんな地獄で生きていけるんだ。何としても人を選ぶ自由、生活を選ぶ自由が欲しいと思った。


リーマンショックは僕にある程度の金や時間の自由を手に入れろと僕に囁いた。
あのビッグイベントは人生の方向性を決定づけたと思う。


仕事を選べること、人より贅沢できること、いざという時休めること。
ある程度実現できたと言える。だがまだ不安だ。


いつか不景気がきて、また望まないバイト生活に戻らされると考えるだけで恐怖を感じる。
そうならないように逃げ道を確保しなければならないと思うばかりだ。