フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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好きなことをして生きていく。それは欺瞞だ。

 

知らない間に誰かからお金が振り込まれて、食っちゃ寝食っちゃ寝できねえかな。そんな風に思って暮らしている。ありとあらゆることに情熱というものがでてこない。


誰しも思うことかもしれないが、どこかに行けば、何かをすれば、人生は変わるんじゃないかと期待することがある。それで実際にそれらをしてみると案外ふつう。実は何にもかわらない。そう何も変わらないのだ。海外旅行、アウトドア、バイクや車、引っ越し、一人暮らし、食べ歩き。どれをやっても「人生が変わるぞこれは!」と思うのは一瞬で慣れが全てを日常に変えてしまう。


楽しめるレベルに行くまでの壁の大きさと高さを越えられないこともつらい。例えば英語がうまければ世界が広がるだろうなあと思う。だけどそのレベルまで行くまでどれほどの修練が必要か、ということだ。アイコンをクリックしたらすぐマスターできるような仕組みではない。現実はそうなっていない。


何をしてもハードだ。例えばキャンプだって漫画やなんやらで見るのは気楽だが、虫対策や寒さ暑さ、準備片付けの手間暇、時間と家に帰るまでの車運転などを考えると辛みがある。段取りにマネジメントや慣れまで必要。最高の景色を見るために、ありとあらゆるやりたくもないことをこなす。最初はいい経験じゃん?語るネタになるやん?と思う。でもやがて、「あーまた虫がブンブンやっているところに行くんか」みたいになってくる。となると、家でスマホポチポチしてるほうが楽だわーってなるじゃん?そうなるともうダメ。家から出ないでいると今度は罪悪感にさいなまされる。


バイクだってそうだ。最初は風と一体になった気がしたが、その内途中で雨が降るとイライラし、寒い日に走ったことを後悔しつつ手足を冷やしながら目的地まで行き、後ろから猛スピードで追い抜いていくトラックに驚き、山道で小さい虫がバシバシ当たることにうんざりする。もちろん辿り着いた温泉地でのリラックスは至高だし、海辺を朝焼けと走る快感は素晴らしい。文字に起こせば素晴らしい風に思える。いい体験をしてきたように見える。だが、現実は残酷で何度もそれを体験していると、最終到達地点の感動が道中の気苦労に負けてしまう。ちょっとバイクのエンジンをかけるのが億劫だな、と思うようになってしまう。


ちょっとした趣味でさえたくさんのつまらないことをこなすわけで、生きていけるレベルの好きな事になると、それはそれは並大抵ではない。好きな瞬間を持続するために、たくさんの嫌な事をしないといけないんだな。こう考える人たちはとても多いのだろうから、異世界に転生でもしてすごいチート能力を手に入れてハーレムを築く小説が流行るわけである。


「ハイパーお楽しみタイム」に到達するまでは金と時間と努力が必要であり、その過程は苦行。逆を言えば人々が苦行とも思える修練を積んだ人だけが「好きなことで生きていく」をやれるのである。もしくはその過程をも楽しめる人たちか。そう考えると飽きっぽくて執念もない普通の人々というのは、一線を越えた世界というものを知らずに生きていくのかもしれない。


だが他の体験同様、ある程度慣れてしまうと「飽き」が来る。
どんな素晴らしい体験にも。平等に。


だから好きなことをして生きていくというのは本当に大変だ。ようやく山を登っても、それなりに極めた能力を延々と飽きずに使い続ける日々を過ごすという適正が必要なのだ。ただの趣味でさえ飽きてしまうなら、いくら好きでも同じ作業や活動をずっとせねばならんのだ。できる人はできるが、僕が思うにたいていの人はそれができないのだろう。僕にもできない。


そんなわけで、大抵の人は好きでもない仕事をいかに楽にこなすか考え、余暇にちょっとした楽しみを見出す人生を選ぶ。好きな事を仕事にできるオンリーワンになることを諦めて、気楽に生きていく方を選ぶ。それは仕方ないことだ。
だからすごいエンジニアが集まるGoogleが宣伝していた「好きなことで生きていく」に、おめえらはそうだろうな、と吐き捨てたくなるというわけだ。


そのyoutuber向けの宣伝も結構前の話だが、思い出して一言書きたくなった。