フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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給食の話

 


中高6年間、自分で弁当を作って持って行っていた私が思う、「給食か弁当か」問題 - 宇野ゆうかの備忘録


僕の記憶によれば、小学校はずっと給食。
中学校から高校まで弁当という子供時代を送った。


はっきり言って僕は給食が好きだった。
というか、母の弁当が嫌いだった。


誤解のないように言うなら母の料理はべらぼうに旨い。
僕の友人たちも羨ましいというぐらいには評価が高い。


割と難しい魚や珍しい魚もさばく。たいていの料理はうまくやる。
だが弁当は別。まずいというかバリエーションもなければ品目も少なく、言ってしまえば適当だ。冷めた料理もまずい。


はっきり言って恥ずかしいぐらいに色がない。
茶色。
おかず3品あればいいが2品の時もある。


母の料理はコンディションの調整が必要だ。
それと時間。


ちゃんとした時間を取って作る晩御飯はうまい。
今でも実家に帰り食べると
「やっぱオカンの料理はパネェなぁ」と思う。
朝早く起きて不機嫌な時間帯に作るわけでもない。
だからうまい。

そもそも愛情がパネェ。

「家が貧乏でも料理だけはな、絶対ええもん食べさせなあかんねん」

これが口癖だ。僕の家は貧乏というほどではなかったが、母の実家は貧しく兄弟も多かった。貧乏の子沢山だ。祖母の教えがそのまま母の言葉である。


そんな母でも手作り弁当は苦痛である。
普段との腕の落差から
「ああ、心底作りたくないんだろうな」という感じがでている。


常識的に言って「作っていただいている」わけだから文句も言えない。
いや、子供のことだから言っていたかもしれない。
いやだなあ憂鬱だなあと思っていたことは確かだ。


母親の労力だかの話にフォーカスされているが、子供としては給食のが良かった。
間違いなくその方がありがたかった。


たまに作りたくないだろう時はお金を渡された。
僕はその時は金額の少なさに不満だったが、大人になり母の一食当たりの価格を知ればそれも仕方がなかった。
母は金額以上に料理を贅沢にしたり、抑えたりする家計力も半端なかったのだ。


だがそういうことを知っても、母のお弁当というワードはただの苦い思い出として振り返るだけのものだ。だって人に見せられないほど彩りがなくておいしくもなかったのだから。


僕と同じようにちょっと苦い思いを持ちながら食べていた人はいるはず。