フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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気休めとしての文才

はてブロでバズるとブコメに時折「文章うまいですね」と書き込まれることがある。これは僕のブログでもそうだし、他の雑記ブログでもそうだ。

 

僕自身は自分に「文才」だとか「文章がうまい」とは思っておらず、というより今書いている文章はうまさを求めているものではないし、僕がうまいと思う文章や方向性はあまり理解されないものだ。

 

僕の思う文章のうまさ、とは短文で表現するものでなく「どれだけ長文に向き合ったか」というところが含まれる。同じテーマで10万文字書いて初めてうまさのようなものが評価できるようになるということだ。端的に言えば本を書いて、最後までスラスラ読ませる人は文句なくうまいということ。

 

同じテーマでという意味も、ブログで似たような記事を量産するということではない。ブログで書く1000-2000文字というのは人によっては読むのに5分もかからない。大抵の人に集中して読んでもらえる短さなので、引き込まれる、と言われてもそれが正しい評価だとは思えないのだ。だからブログでどれだけ記事を量産しても、文章がうまいという評価をされるのは微妙に感じる。もちろん中には小さなストーリーをきちっと書いてブログに出す丁寧でうまい人もいるのだが。

 

文章が理路整然としているとか読みやすいだけでなく、リサーチ力やそれを読者に伝えるために熱意を持ち仕上げ、読者に金と時間を出させて10万文字を読ませる人は「トータルの文章力」があるのだろうと思うし、値打ちのある文ともいえる。逆に言えばただ無料で消費されるだけのブログ記事というのはリアルな意味で値打ちがないともいえる。金にならないなのだから。(アドセンス収入があっても、読者が値をつけたわけではない)

 

話がそれた。いろいろとブログを読んでいて、文章うまいですね、とブコメされているバズ記事をちょくちょくみる。ところがそういう人に限って、あんまり羨ましくない人生を送っていたりする。はてブロ世界の成功者とはいかにブクマされるか、読者数があるか、とかだと思うけれどもリアル人生はまあ普通か、普通以下のケースさえ散見される。平凡な人生に、壮大なテーマで、短サイクルのバズ。

 

僕は技術記事を検索して読んだりしているのだが、そういう中で役に立つ記事を見つけても、そのブログは読者数が10人程度だったりする。ところが、そうした役立つ技術記事を書いたりしている人は海外で働いていたり、教育レベルが高かったり、お金持っていたりしてそうな「まともですごい人」がゴロゴロしている。ようは中流以上の人たちなわけだ。この前はカーネギーメロン大学で勉強した人を見つけて、そんな人がはてブロなんざやっているのかと驚いたりした。

 

僕にとって大いに役立つ記事がバズっているわけではない。彼らは文章がうまいとか、引き込まれますとか、また読みにきますとか言われるわけではない。彼らのその記事をリリースに至る経緯が、親切心と中流以上のキャリアの中で培った確かな知識だったりして、あまりの光属性にくらくらする。

 

一方で今もはてブでバズっている記事を書いている「文章のうまい」人たちは、やっぱり金銭的に豊かとは言えないし、ずば抜けた教育レベルでもない。その文章力とやらですごい本を書くわけでもなく、金になるわけでもない記事を書き、気休めのように「文章うまいですね」と言われるわけだ。

 

井戸端会議の口火ともいえる記事をだし、バズり、忘れられる。

ちょうど使い捨てホッカイロのように、ちょっとネットを暖める。

それの何が悪いって?全然悪くないよ。

 

僕もその無意味な螺旋にはまり、実に600記事以上少なくとも60万字を費やしたが、ほとんど意味をなしていない。脈略のないトラッシュの集まりがこのブログだ。

 

人によっては研究成果を発表するレベルの文字数。集大成の何かを提示できる量。

それができてこそ「文章のうまいひと」ではなかろうか。

 

そしてこの文にも意味などない。

うまいと言われても、気休めの文才でしかないのだ。