フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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維持できない居酒屋をつくるな

僕が今まで使ったお金の中で一番消費したジャンルは、恐らく食事だ。

食事を作れないくせに、贅沢三昧を繰り返してきた。服や装飾品には金をかけないが、とにかくレストラン、居酒屋には金を惜しまず使ってきた。食べるのが好きだからだ。

 

元カノの趣味で割と高級フレンチなんかも食べてきた。大衆居酒屋なんて好みじゃないからちょっといい居酒屋に行く。ところで最近腹立たしいのは自分の母が、居酒屋をやっていることだ。昔からずっとやりたがっていた。そして彼女は貯金で自分の名義の家を買い、一階を改装して居酒屋にした。ここまでは良い。問題は立地、コンセプト、できること、全てにおいてチグハグなのだ。

 

僕らの家族は誰もタバコを吸わない。だから母もタバコで店が汚れるのが嫌がり、僕らの家族も禁煙でいいんじゃないか、と思っている。だが東大阪で禁煙の居酒屋など繁盛するだろうか。たいがいヤンキーみたいな男や、おっさんがメイン客だ。恐ろしいほどの喫煙率である。

 

もちろんそういった客層を切り捨てるのもいい。実際にそういう店はたくさんある。だが立地である。家を買うとき、とにかく立地を気にしろといった。飲食店は立地が全てだからだ。一番いいのは駅近くだが、彼女は僕に相談せずに購入を決めてしまった。多分反対されると思ったのだろう。案の定駐車場もなく、駅にそれほど近くもないところを選んだ。もちろん出せるお金と相談の上で買ったのだろう。駅近くなど最初から望むべきでもなかったかもしれない。買ってしまったのは仕方ない。もちろんそこは終の棲家でもある。2階より上は母が住むのだからそれでよい。

 

カウンターと小さなテーブルだけの店を作った。そして禁煙という方針。駅がそこまで近くもないし、最寄り駅は人がたくさん降りる駅でもない立地。東大阪。彼女も喫煙ありで、ちょっとした小料理を出すだけのローカルおっさんたちのたまり場になっている店がそれなりに繁盛していることを知っている。が、やりたくないのだ。理解はできる。

 

僕もたいがい飲み歩いているからわかるが、大阪のおっさんの下品さたるや、はてな村の住人が裸足で逃げ出すほどのクソっぷりである。そういう人たちで店が溢れかえって、トイレを汚され、愚にもつかぬセクハラ話をくっちゃべり、タバコで店の壁が汚れる生活はお金になったとしても嫌なものだろう。だから否定しない。だけど、それならもっと中流層がいそうな地域を、駅が近くなくてもタバコ吸わない女性がいそうな場所を選ぶべきだった。

 

母は料理がうまい。それは否定しない。マジでうまい。だがそれは家族相手に普通に作る量だ。居酒屋として必要なのは在庫管理だ。なので保存のきく材料は多めに、足が早い材料は一日で使い切るというクレバーさが必要だ。彼女はそれができない。だから僕はメニューを減らすように強くいった。

 

母は飽きっぽい。いろんな料理を作りたがる。だが居酒屋のメニューなんて常に同じだ。ほとんど変わることがない。在庫管理の面で一度パターンを決めれば楽だ。だが飽きっぽいとしても、そのルーティンみたいな生活をやり続けなければならない。

 

クリエイティブを発揮する料理は、フレンチのシェフなどそれなりに修行を積んだ人たちだけに許される。なんの修行経験もないような一般的な料理人には許されない。どこの馬の骨ともわからない高級店には誰も入らない。だが高級店でもなければ、クリエイティビティなどもってのほかだ。たいていの居酒屋はルーティンの塊だ。せいぜい付だしを少し変えるぐらいか。

 

母はおしゃべりが好きだ。僕は聞き手に回るタイプだが、彼女は話が好きだ。そしてオッサンの話など聞きたくないと思っている。話を聞きたがらないシェフがいたってかまわない。だがその場合は厨房と客席を分けて作るべきだ。そうすれば注文の時以外は裏で作業したってかまわない。「客と話せない」環境を作ればよいのだ。それもしなかった。僕よりはるかに年を取っている母親が、自分の能力と願望を分析して設計できないことに腹が立つのだ。

 

僕は酒がそこまで好きだはない。だから晩酌もしないし、家で一人では飲まない。母は人が酒を飲んでいると飲みたくなるから酒はださないと言っていたこともある。だがそれで客が来ないとわかると酒を置くようになった。ビールサーバーを入れてほとんど出ないことがわかって、ようやく保存しやすい瓶ビールや小さいボトルの日本酒、焼酎に切り替えた。

 

店を買うだけの節制をする能力はあるが、簡潔に自分の限界を把握して、システムを作る能力がない。客席と同じくらいのキッチンスペースを取ったことも、自分勝手なやつだなと思った。今更どうしよもない。同業者の人からは羨ましいぐらい使いやすいキッチンですね、と褒められていた。使いやすいのはわかるが、広いキッチンはほとんどカウンターだけの居酒屋には不要だ。出すものは決まっているんだから小スペースで可能だろう。スペースが広ければ、狭苦しい思いをしないで客がくつろげる。

 

飲食店は大雑把に二つ。誰でもウェルカムで単価が安い。あるいは単価が高く、人を選ぶ。だいたいどちらかに寄る。客層を選びたいなら、腕がいる、場所もいる、ネームバリューもいる。ようは最初に設計をする必要がある。母はそうしたがっていたが、残念ながら思慮に欠けた。客層を選ばないなら継続と忍耐で勝負だ。延々とワンパターンなことをせねばならない。その覚悟が必要だ。

 

何も母の愚痴を上から目線で書きたいわけではない。ここまでイライラするのは、彼女の考え方に自分の影が見えるからだ。母のささやかなお店には、彼女のエゴと理想と夢が詰まっている。不特定多数のつまらない話なんぞ聞きたくないところも、ルーティンワークに耐性がないところも、走りながら考えるところも、それでいて客中心ではなく自分中心なところも。金以上に自分の理想を先に選択するところも。腹立たしいほど似ている。

 

僕はプログラマだから問題が表面化しないのだ。少なくても今は需要と仕事は腐るほどあって、走りながら考えても消費するのは時間と電気代だけで、初期費用がかさまないから。場所も選ばないから。だがおかんはちゃうんやで、と言いたい。今さらだが。飲食店は難しい。一度の設計ミスはロールバックできない。あとは作ってしまった店に合わせて自分が変わるしかない。

 

血は争えないというのがこうも腹立たしいものなのか。