フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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東京互助会とイケハヤ批判

読者数の多いはてブロの主達の中で、僕が勝手にそう呼んでいる人たちがいる。今ではブロガーというよりwebでの広告を中心として対企業で金を稼いでいる人たちだ。

 

人気はあるけどかなり更新を停止させている人が多い。今まではビジネスの導線としてブログを利用してきたけど2018年を境に、ブログ自体に利用価値がなくなったかのようにたくさんの人気者達が更新を辞めた、もしくはほとんど更新をしなくなった。たいていそういう人たちはtwitterでお仕事の告知をしていて、広告料は企業主から振り込まれるような商売をしているらしい。

 

「東京互助会」と呼んでいるのは、東京中心のビジネスを重心としていて、ブログだろうがtwitterだろうがビジネスに使えるなら何でも使うだろうし、役に立たないなら使わないという人々だからだ。端的に言えばはてブロじゃなくてアメブロでもいいというスタイルで、東京のメディアを中心に金稼ぎに勤しんでいる。そしてそうした人たち同士フワっとした繋がりがあるらしいからでもある。

 

僕はブログというのは人間関係やビジネスに縛られない自由な場所であったらいいなあと思っている。個人の使い方は自由だが、僕のようなド庶民が自由に、悪く言えば無責任に批判を書き散らしたりできるのはブログシステムと言論の自由があるからだ。

 

この記事を書こうと思ったのは、僕が「東京互助会」とよんでいる面々の一人のちょっとしたコメントをwebで読んだからだ。最近、悪どいサロンがいくつかバズって批判を食らっていた。僕は言及しなかったが、バズとして消費された。僕はサロンに入ることも開くことも絶対にしないだろうが、日本で唯一東京だけがサロン(この曖昧な道場)を開いてお金稼ぎができる場所ということは知っている。

 

悪どいサロンがバズった、その流れで「東京互助会」のメンバーがイケハヤ氏について批判した。イケハヤ氏とあと二人がサロンの中心メンバーだったからだろう。僕はこのとき「東京互助会」のことをなんかすげえクソだな、と思ってしまった。

 

というのも、イケハヤ氏を批判するの別にいいんだけど、その人ははあちゅう氏と仲が良いというか、少なくともビジネス上の繋がりがあるからだ。ビジネス上か個人的な付き合いが優先かはわからないが、要するにちょっと批判は遠慮しないとイケナイ関係ということなのだろう。イケハヤ氏がクソ野郎なら、そのビジネスに加担したはあちゅう氏もクソというべきだろうが、そうは言わない。なら批判そのものを封印するのが大人なんじゃないかとも思ったが、そうはしなかった。

 

なんだかなあ、と僕は思った。

 

なぜイケハヤ氏が連続殺人鬼ぐらい批判を受けるのかというと、彼のクソビジネス所以もあるが、それ以上に彼が「東京互助会」のメンバーではないからだ。彼は東京を煽って儲けたりしているところもあるから「東京互助会」的なビジネスをしている人からすれば批判しやすい。ぶっちゃけ彼はナチスみたいに悪人のフリー素材になっているから叩いても誰も同情しないし、彼自身もアンチがいて良いみたいなスタイルだから、まあ叩かれる。だけど僕はもっと極悪人じみたことをしている人は東京にいくらでもいるだろうし、「東京互助会」な人たちはきっともっとひどい極悪人達とフワっとつながっていたりするんだろうな、って思う。

 

「東京互助会」はイケハヤ氏を叩いても、はあちゅう氏は叩けない。そういうところにクソ日本の村社会ぶりや、言論の自由を自ら封印していく見たくもない光景をねじ込まれた気がして腹が立つんだな。

 

そして「東京互助会」がほとんど自民党やその関係者をイケハヤ氏のように叩いたりはしないところも反吐が出る。現実として東京五輪が近づいていて、明らかに過剰な予算は「東京互助会」の面々に回り回って入っていってたりするからだ。今オリンピックではいろいらな広告予算が計上されていて、広告媒体で飯食っている人たちはまあ、政治批判なんてできないだろうなあ、と察する。

 

1984」で有名なジョージ・オーウェルの小説に「動物農場」というのがある。(余談だが、僕のブログタイトルにもなったピンク・フロイドのアルバムにこの小説をモチーフにしたアニマルズというアルバムがあったりする)

 

動物農場」はスターリントロツキーの関係と当時のソ連を動物達に例えた秀逸な小説だが、そこではリーダーとなった豚(スターリン)がかつてのリーダーの一人だったいなくなった豚(トロツキー)を常に批判する。

 

「やつが帰ってきたら、この農場は終わりだぞ」

「おまえはやつの手先なのか?」

というように。そんなことを思い出した。

 

僕は「東京互助会」が反吐のでるクソ集団だな、と思うのは自分たちの利益のためにいろいろな行動を制御しているからだ。そしてそれが、見たくもないのに時折ネットで可視化されてしまったりするからだ。東京から去ったイケハヤ氏は同じことをしても叩かれる、だが似たようなことをしていたとしても「東京互助会」にいさえすれば、少なくとも同業者は批判しない。

 

僕はブログを書いているときは、それなりに幸福なのだ。言論の自由があるから。愚にも付かぬことを書き散らしても良いという自由があるから。

 

しかし同じサービスを使ったり、サービス内で話題になった人たちが自主検閲をしている姿を見ると、途端に幸福感がなくなり、そのクソみたいな現実とやらがまとわり付いてくるような気がして虚しくなってしまうのだ。

 

ともあれ僕が悪辣なサロンに吹き上がって批判しないのは、大阪に住んでいて、大阪ではサロンを開いてお金を稼ぐほどのメディアのパワーもさまよえるカモもあんまりいないからかもしれない。

 

だから良からぬ悪人共が東京にいるんだなあ、とモヤッとした想像しかできないからなのだろう。

 

だから何だという話だが、僕自身は「東京互助会」みたいなモヤッとし連帯に取り込まれたくない、そう思った次第。

 

 

一九八四年 (ハヤカワepi文庫)

一九八四年 (ハヤカワepi文庫)