フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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意味はなくとも歩みは遅くとも

Apple Musicにミスチルがあったので、久々に聴き込んだ。もはやほとんど記憶がないような10代の頃、何度もリピートしたBOLEROというアルバムのALIVEという楽曲は、27歳前後のサラリーマン経験のない成功者とは思えぬ哀愁が漂っている。

 

楽観主義者はコップの中に入った半分の水を見て、まだ半分も入っている、と思うらしい。3月が終わるまで残り10日を切った。つまり僕の残されたオフ時間がそれであるが、どうやら僕は悲観主義者らしい。長期オフを取るたびにこんなはずではなかった、と思う。振り返れば幸いなことに僕は結構な頻度で長期オフを取っている。ただ単に働きたくないから仕事を辞め、休みを取り、ただのんべんだらりと過ごしている。

 

心はいう、もっと楽しめと。身体はいう、疲れているんだと。たいてい身体が勝つ。身体の声は強い。ダラダラしても時間は過ぎる。僕の3月は幸福でも不幸でもない状態で3分の2が過ぎた。もし別人として今の僕を僕が見たら、こいつクソだな、ぐらいのことは思いそうだ。

 

今までずっと幸福の合理的思考みたいなものを考えずにいた。この世の中にかくもアル中のいることを思えば、みんな辛さをごまかしているんだな、思考が自分を不幸にしていくことを酒で回避しているんだな、と思った。今月の酒量はまったくないに等しかった。本当に何杯飲んだんだと数えれるぐらいではないか。

 

幸福というのは単純に感じられるものではないので、大量の酒や人によってはドラッグなんかでサクッと手に入れたりしているんだろうな、と思った。そう、幸福とは脳ミソが生み出した錯覚のようなもので、法律に違反せずに手に入れるのは結構難しいんじゃないだろうか。そこで常に幸福を感じていたい、嫌な娑婆なんて考えたくもない、となったときの出番が化学反応なのだろう。酒か薬か。幸いにも酒は違法ではない。だからこうもみんな酒を飲む。

 

不幸でない状態というのは幸福か?少なくとも苦しい思いをしないならそれは素晴らしいことじゃないか?だが僕は幸福を感じたいのだ。気力に満ちてやりがいがあって自分に自信があって飢えもせず、毎日華奢な生活を送る。そこにたどり着くためには泥臭い、とても泥臭い努力の繰り返しである。それが辛い。たまにすごい体力とやる気で成長する人がいるけれど、僕はそうじゃない。体力か、体力の問題なのか。やはりジョギングなんかをしたりして引き締まった身体になれば、それなりに幸福度を満たせるのだろうか。少なくとも頑張りを心からだすのはやはり健全な肉体が必要というのか。

 

思えば10代の頃は、ミスチルの歌詞を読みながら聴くだけでジワっと感動できたものだ。今となってはちょっとした映画程度なら、斜に構えて見たり、現実との相違を比べてみたいりして、心が乾いてしまった。僕の脳みそはつまらなくなった。

 

時折ゲームでも映画でも、あるいは盆栽のようなものでも熱中できる人がいる。僕にはそれがない。これ、っというのがまったくない。コレさえしていれば満足というものがない。飽きる、飽きる、飽きる。これはちょっとした生まれ持った何かのある人なのだろうね。執着、念。

 

ないんだなあ、これが。残り40年かそこらを、僕の親父が生きている年齢までをそうやって過ごすのか。辛い。と思ってミスチルのALIVEを聴く。

 

報いはなくとも 救いはなくとも
荒れ果てた険しい道を
いつかポッカリ 答えが出るかも
その日まで魂は燃え

夢はなくとも 希望はなくとも
目の前の遥かな道を
やがて荒野に 花は咲くだろう
あらゆる国境線を越え…

 

さあ行こう。