フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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原作と監督

僕が1話切りしたアニメが酷い炎上をしていて、1期目の監督と原作(というより原案)の支持者の間で不毛な叩きあいを延々と行っている。そのアニメは1期の出来が良かったが2期はさんざんだったので、1期ファンがアンチ化し物見遊山の野次馬も加わって2期の監督も原作者も叩かれ続けている。

 

僕は監督業をするような憧れはないが、小説家には憧れがあるので、原作者の視点でものを見てしまう。自分が生み出した原作がアニメ化に失敗し、ただ売れないだけならまだしも、その作品を執拗に叩いたり、失敗作の代名詞として例に出されるようになればどう思うだろうか。うつ病耐性があると思っている僕もついには発狂するのではなかろうか。

 

小説のアニメ化、ドラマ化には様々なトラブルがつく。アニメなら声優の、実写なら俳優のスキャンダルや、予算不足による低クオリティ、オリジナルストーリーによる不評などなど。これによって不名誉な作品と化してしまうと原作者にとっては後悔以外にないだろう。そのような哀れな結果となった作品は枚挙にいとまがない。僕は作品化の名誉に預かったこともないからわからぬが、想像する限りの地獄に恐怖してしまう。

 

スキャンダルなどの外的要因には同情もできようが、低クオリティの映像や、実は映像化向きではなかったシナリオによる低評価は誰も同情せず、原作が好きだったファンさえ少しひいてしまう原因となる。以前にできが良い作品を提供していたりするとなおさら。作家にとって映像化はチャンスでもありリスクだ。資本主義のルールに則って成功すればよいが、失敗すれば敗者の扱いになる。だが作品はそのファンや作者にとってかけがえのないものであることには違いない。

 

つまるとこ資本主義のルールによって作品の毀誉褒貶が決定づけられ、そしてその作品に宿るそれぞれの魂の価値がはかられる。ことによれば筆を折ってしまうぐらいの負荷がかかることもあるだろう。

 

失敗作にも彼らなりのこだわりや魂の根源のようなものがあったはずである。

つくづく資本主義は個人個人の想いなどいとも簡単になかったことにしてしまうということを考えてしまった。