フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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その孤独こそを恐れよ

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本当に有限なのは金ではなく時間。時間を浪費すること、またはできる人は最大の贅沢をしていると言えるのではないか。高齢者の金持ちや成功者がどれだけ願っても伸ばすことができない寿命を僕らは持っている。寝て過ごしても学問をしてみても、同じ24時間。それ以上にはならない。

 

日曜日はバーベーキューの予定だった。仲の良い友人のうち2人は家庭を持った。おまけに不定期な休日の仕事柄だから、もう滅多なことでは会わなくなった。そんな2人が参加できるタイミングが来たというのに、ピンポイントで雨だったのだ。土曜日は快晴で月曜日も快晴らしい。だが日曜日が雨。端的に言って楽しみにしていたのだが、家族連れができないと参加できないということらしいので、お流れになった。

 

歳を重ねると誰しもが経験することではあるのかもしれないが、仲のいい友人たちが家族を持つと、当たり前のように疎遠になる。LINEがあるからマシかもしれないが、まあ会えることはあまりない。残された僕らも仕事が忙しい奴らばかりだから一緒に遊ぶのは稀になった。

 

そんな生活感を意識した時に、孤独が目前に迫っている気がする。孤独がそこまで来ている。そんなことを考えてしまうのだ。土曜日にNetflixでシャーロックというドラマを見ていた。ベネディクトカンバーバッチが主演の現代版シャーロックホームズなのだが、僕はそのトリックよりも、2人の孤独に魅入られる。アフガン帰りの軍医ワトソンがホームズに気に入られて同居するところから始まる。2人は恋人もおらず、いい年をしているがロンドンの変わった事件を追うことに熱中している。

 

こういう時に家庭を持たず好きなことを熱中している姿は勇気づけられるようにも思えるが、熱中することがない僕はこの先平穏無事にやっていけるのだろうか、と思う。Netflixで作品を見る日はまだマシだ。日曜はなにもせずうたた寝をして過ごした。IELTSの過去問を開いてもちっとも集中できない。せいぜいpodcastを聴いて、わからないなりに耳慣れぐらいはするだろうと期待して流すだけ。僕の抱えた大きすぎる目標が、この先の人生をドンドン明白にしてきたのだが、一つわかってきたことは間に合わないだろな、ということなのだ。夢を叶えるには遅すぎた気がする。

 

この間、3年ぶりぐらいに入った値段の割に質がいい日本料理屋で、カウンターで座っていた老人が、フランスで10年以上も過ごしていたらしい。日本酒をガブガブ飲んでは日本経済などを熱く語る姿は興味深かったが、はてブ中毒の僕からすれば初歩問題程度の内容だった。気を良くした彼が、もう20年以上も働いていないなどと白状して僕は我に返った。彼がフランスに長く滞在したのが本当だとして、そしてもう60代にして20年以上も働かないでいられる環境とはどういうものなのだろう。

 

一つは生活保護、もう一つは金持ちの出自といったところだろうか。あるいは稼いだ金で十分隠居生活を送れるほどのものだったのかもしれない。ただ言えるのは、僕から見れば場末のスナックで管を巻く無教養な人たちとさほど変わらないと思ったことだ。子供はいないと言い、早く死にたいなどと言い、フラフラと起き上がってはこけてしまう、そのような老人だった。海外に出て仕事をしてきたと言ってもコレが人生の終末期なのか。その点は同じぐらいの年齢でも孫をみることができた僕の父のほうが充実していそうだな、などと思った。

 

僕は少し恐怖した。結局の所、イギリスで数年過ごしたり海外で生活を繰り返しても、実態としてはこんなもんなのかもしれない。とてつもない成功者になるのは一握り。そうして彼が過ごしてきた人生のように、高齢者になれば周囲からはごく平凡な老人。個別の視点で考えると、もしかしたらたくさんの良い経験や珍しいことをしてきたのかもしれない。だが、それは個人的な満足というだけであって、最終的には彼が酔って口にする「早くお迎えが来てほしい」という言葉が集約しているかもしれない。

 

60代も半ばに差し掛かった僕の父母は、なるべく長生きして孫や子供の人生を見続けようとしている。だがカウンターの酔いどれの人はそうは言わない。孤独は過去の体験も教養も吹き飛ばして死を望んでしまうものなのか。それとも彼はただうそぶいているだけか。たった2時間酒の席で一緒になっただけではわからない。だが知らない人たちに死への渇望を言葉にしてしまうというのは尋常ではない気がしたのだ。

 

そしてそれが30年後の自分かもしれない、などと考えさせられたのだった。