フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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エリート仏教研究者と生活保護にランクをつける人々

経済的に困窮し自殺した文系研究者、成果を出しても職は得られず | スラド

 

このことで考えた。仏教研究者のエリートや電通の女性が自死した時、どうして生かしてやれなかったのかと悔い改める人々がいる。だがその何千倍もの人が貧困に苦しみ、そして死んでいっているのだ、と。

 

エリートが適切にケアしてこなかった社会が延々と続き、その結果エリートの中にも死なざるを得ないような人が出てきたということなのだ。君たちエリートがどれほど何者でもない貧困層を放置してきたというのか。これは地続きなのだ。最初は最も弱く、能力も権力もない人が苦しんだ。日本に金がなくなっていくなかで、エリート内でも取捨選択が始まっている。工学系の金になりそうな研究には予算がつき、基礎研究は削られ、文系も削られる。それに可哀想だ、というのは間違いだ。なぜならもう20年も前から下の階層が水で溺れて行くのかで、沢山の人が窒息していった。そして20年後の今日は以前なら上の階層と思われたところも浸水している。上層の内の下層というのが仏教研究などの即金にならない研究職だったのだろう。

 

不況の日本でで苦しい思いをするエリートがでてきた。だが最下層は同情すべきなのだろうか。マルティン・ニーメラーの言葉を引用するまでもなく、社会主義者が殺されるを見逃した宗教家を助けるべきだろうか。

 

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

 

優秀な脳みそを持っているから助けるべきなのか?優秀な脳があるのにまともに稼げないのに?いや、稼げないから正しくないというのは拝金主義だ。では一体何を尺度に生殺与奪の運命を決めるのか。国にとって必要だ、という尺度か?それなら仏教研究は国の役に立つといえるのか。役に立つかどうかはわからないが、研究は必要だ、と考えるべきか。それなら研究者と名のつく人々には全て食い扶持を与えるべきだろうか。

 

大学院に行けるほどの経済力がある人々を全員税金で食わせるのか?(言っておくが社会のボトムは借金して大学院に行こうなどとは想像もできない)

 

それなら研究者の中でも優秀な人だけでもなんとかすべきだと言うなら、何をすれば優秀なのか。いや、やはり優秀なら国が面倒をみてもいい、バカは死ねということじゃないか。

 

堂々巡りをした結果、一つだけ答えが出せる。全員救われるにはどうすればいいかを考えることだ。その難しさはレアリティを持った人の貧困がフォーカスされるという人間の選民思想があることから理解できる。

 

下にいるやつは死んでいいということであれば、あなたが下になった瞬間殺されるというわけでもある。それを回避するには、どんな人間にも人権があり、貧困に陥ったら手を差し伸べるセーフティがあると認めることだろう。今のあなたが豊かでも貧しなれば救われる、という理論である。有名大学を出た美人な女性だから同情する、有能な仏教研究者だから同情するということが、すでに選民思想による取捨選択の始まりである。そうでなく誰の貧困に対しても同情して、誰に対しても開かれる平等な福祉があるといい。こうなるとベーシックインカムが最適に思えるが、BIだけでは食っていけない体の動かぬ人はどうするかという問題は解決できないだろう。

 

ノアの方舟が小さくなっていく世界で誰を弾き出すかの選別が社会レベルで行われているように見える。だが言葉に予算はかからん。特別な誰かを同情するのではなく、貧困を憎め、貧者に同情せよ、という社会的連帯が必要なんだろう。

 

そうでなければ下層になったときに、あなたも僕も死ぬのだ。