フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

PR

搾取者階級としてのアイドルの罪

アイドルの結婚、共感憎悪、川栄李奈 - フロイドの狂気日記

 

ちょっとだけアクセスが高かった記事である。ここに全てを書いたつもりであったが、ブコメによると、川栄李奈の何が悪いんだという意見がちらほらあった。僕ももうちょっとこの嫌悪感について言語化しようと考えた。

 

僕の思春期のアイドルといえばモーニング娘である。つんくファミリーこそが僕のドンピシャ世代というわけでAKBはかなり後の方に流行ったし、その頃僕はすでに成人していた。そんなわけでアイドルのイメージというのモー娘が手本だといえよう。

 

アイドルは昔から歌唱力を売りにしていないし、ダンスのキレもない。なんだったらルックスも冴えないことさえある。日本的なアイドルというのはそういうもんだというのは理解している。だがAKBとモーニング娘の違いというのが、舞台の上で楽しませる牧歌的なアイドルと、舞台の下に降りて金を絞りとるビジネスを展開する搾取者という点であるかと思う。

 

思えば僕の思春期のモーニング娘は牧歌的であった。そもそもテレビの中にしかいない存在で、他のミュージシャンと何らの違いはなかったのだ。歌も踊りも下手で作曲もしないけれどエンタメを提供するという立ち位置というだけだ。アイドルとしての実力云々は比べないが、搾取しないアイドルがメジャーシーンにいるその当時は、極めて良い時代だったんだと思う。

 

そもそもCD売上が最盛期の90年代後半から00年代前半にかけてのアイドルだったため、握手券をつけなくたって、ノリの良い楽曲だけでミリオンヒットを連発できていた時代でもあった。AKBが流行するころには普通の流行歌というだけでは、年間1つもミリオンヒットがでなくなっていたころである。最近のサブスクリプションストリーミングのビジネスも確立されておらず、単価の安いダウンロードとネットの情強者による不正ダウンロードが横行していた事情もある。

 

そんなわけでAKB商法は時代とマッチしたこともあって売上減に苦しむ音楽業界を救っていた。そこでの膨大な売上は新しい時代を作るソフトウェアの開発にでも投資してくれればよかったが、新時代の音楽スタイルであるストリーミングサービスは全てアメリカが作ることになった。

 

Apple Musicのサービス開始からずっと利用しているが、当初は邦楽なんてほとんどなかった。アメリカがビルボードヒットチャートにストリーミングのポイントを加算したりして、2018年には日本でもストリーミングを利用して少しでも金を稼ぐという有用性が理解された。2015年の開始からすでに3年経過していたのだ。そして今、ほとんどのアーティストがストリーミング配信に参加している。ありがたいことだ。

 

話はそれたが、ストリーミングとダウンロード・CDの買い切りスタイルの谷間世代の流行であったAKB系列は音楽業界の寿命をもたせた反面、事実上の貧困ビジネスのようなものとなった。音楽を純粋に楽しむ、エンタメとして見るのではなく、貧しい人たちが自分の場所を確保するための宗教のようなものになったと思う。免罪符を買うようにCDを買って握手をし、生きている実感を得ていたのだろう。

 

射幸心と偶像(アイドル)からの承認のため金を捨てにいくなんて狂った社会だ。流行がエコーチェンバーを作り上げて、若い世代も何となくやらねばならぬと思った人も多いのではなかろうか。そういう意味では田舎者集団が歌って踊るだけのモー娘世代で良かった気もする。自分のガールフレンドにプレゼントをあげる方がまだ人生経験にもなっただろう。恵まれぬ男たちの財布からダイソンなみに金を吸い取っている連中には嫌悪感しかない。

 

思えば貧テックなどと言われるビジネスも含めて、弱りきった人や頭の弱いひとから効率的にお金を吸収するというビジネスは形を変えてドンドン進歩していった。僕が10代の頃にはなかったものが、今はある。ソシャゲガチャだって、リボ払いだって僕がもっと若い頃には浸透していなかった。

 

パチンコや借金の鬼のような利息が全盛期だったころもあるが、それはかなり終わっているダメな人という認識だった。今でもキャバクラ、パチンコは規模を縮小しながら残っているし、さらに地下アイドル、ソシャゲガチャ、課金ゲーム、リボ払いと絞りとるやり方は豊富だ。それらに異常な課金している人々を見ると、ディストピアだなと思う。存在しないデータである。体験型サービスといえば聞こえはいいが。

 

大昔の昭和のように、車・スキー・ファッションの方が健全だったのではないか、とその時代を知らぬ僕は思う。というか今でもその当時の体験をやるだけの金は日本人にありそうな気がする。ネット上のデータと架空の存在や宗教的な何かに余った金の全てを吸い取られているだけであって。

 

そうして病んだ屍の上に立って、幸せになろうとする主犯格の人間達を見ると、娑婆の世界に救いはねえのか、と思う。AKBに貢いだ連中は、彼女らの結婚や引退とともに使った金は思い出の中に消える。

 

それで良いのだ、と言える人もいるかもしれない。だがきっと國府田マリ子のコピペみたいに思っている人も多かろうと思う。早くそこから抜けだせ、お前らの女神はいずれ、老いぼれた顔を晒してクソみたいな現実を突きつける日が来るんだぞ、残るのはすっからかんのお前だけだ。

 

などと言いたくもなるが、だからといって社会が変わるわけがない。僕は相変わらず定期的に娑婆のクソ現実をニュースでみて不愉快になるのみだ。