フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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露悪的な記事は仕事が順調なときに捗る

3月いっぱいオフにして4月から仕事の依頼を受けている。すこぶる順調という感覚は久々である。大抵の場合、依頼を受ける前からカツカツやろ、というのがわかるようなスケジュールの仕事を繰り返してきた。今回は違う。4、5月とひたすらEXCELで設計を書く時間が与えられていたのだ。古いシステムのリプレイスだが小規模だし、こういうときはだいたいバカな見積もりで苦しむと相場が決まっているのに余裕のある期間が設けられている。おまけに猛スピードで設計とテスト仕様を作ったので大幅に工期を前倒しにできている。お客もニッコリである。そろそろ僕は死ぬのではないか。

 

そんな生活が続くと焦ることなくブログ記事でも書くか、となる。しかも苦しみから逃れたい一心で書く魂の叫びなどではなく、斜に構えて世間を見た、極めて露悪的で不機嫌な記事を書く。そんな記事を最近連発している。

 

炎上して一儲けしようとするわけではない。雑記ブログはどれだけ燃えても金にならない。純粋たる悪意から、暇人が持つ贅沢な無責任さから、クソを丸めて投げつけてやるぞ、という気で書く。そうするとこのブログの傾向から言うと、耐え難い悪意にいたたまれなくなった読者がサブスクリプションを外すのだ。

 

それを繰り返してきたこのブログは生物濃縮が極まり、ついに少しばかりの悪意では離れない読者ばかりになってきたようで、最近は抗議の読者解除をする人を見なくなってしまった。これはこれで不安なのだ。

 

露悪記事を何年も見続けた読者だ、ツラがまえが違う。

 

いやしかしだね、例えばヒトラーユダヤ人を虐殺しているところで、「まあユダヤ人はしばくけど、演説はおもろいですし」と言いながら、スルーしている群衆がいると、「うわぁ」ってなるんじゃないかと思う。ドン引きである。

 

長年勤務している部長職のおっさんが、相変わらず令和時代に似合わぬ差別発言やセクハラを繰り返しても誰も怒らないとしたら、それは延々と続いていくじゃないか。際限がなくなるよね。

 

僕は悪意をぶつけているけど、誰も何も言わないなら「この程度だと大した悪意ではなかったか」とばかりにスパイスを追加していっては、ある時食べられぬほど香辛料の量になってゴミ箱に捨てるより他ならないというようなことが起こりはしないだろうか。

 

悪意を持った記事を書くと、心が曇ってくるのがわかる。世間への憎悪をむき出しに、腹の立つことをキーボードにぶつけるのだ。それで心が晴れやかになるかと言うと別だ。むしろ意地汚くドス黒いものが溢れ出して、底意地の悪い妄想にとらわれて誰にも何もされていないのに見えない敵を作り出しては不機嫌になるのだ。

 

そんなときはブログを見返して、おやおや露悪的な記事を連発してますねえ、と冷静になる。冷静にならねばならぬ。そうでなければ別に何の不満もない生活を送っているのに泥沼の精神状態に陥るのだ。

 

だからたまには「このクソブログが!裁きを受けろ!」と誰かが言ってくれないといけないのだ。じゃないと頭がおかしくなって死ぬ。