児童など16人刺される 女子児童1人死亡 確保の男も重体 川崎 | NHKニュース
児童など16人刺される 身柄確保の男死亡 川崎 | NHKニュース
朝起きて何時も通りニュースをチェックすると、胸クソ悪い速報が目に入る。こういう大量殺傷は数年に1度は起きる。だとしても慣れないものだ。今回は子供が巻き込まれている。プリウス事故などでもそうだが、子供が死ぬと胸が痛む。最近叔父さんになったので、小さい子供が幸せになってほしいと思う気持ちが強くなった。
犯人は自殺に成功したらしい。今後マスコミが根掘り葉掘り犯人について調べ上げるだろう。友人、務めてきた会社、仕事、現在の生活、学生の頃のアルバムまで出てくるだろう。続報待ちではあるが、彼がもし貧困だったら、貧困層の悲哀や福祉の拡充を訴える人が、やばい薬を使っていたら売人への非難と規制強化が、うつ病だったらそのフォローについて、きっといろいろ語られる。
だが社会の中で何らかの不満があろうとも、病気になろうとも、貧困だったとしても、まっとうな人はまっとうで、狂ってしまう人は狂ってしまうというどうしようもない現実は変わらないのだ。ただの確率論のように、唐突に狂った人が社会に牙を向く。ダイスを回し続ければ6が6回連続ででることもあるように、狂った人が社会に現れる。そのたびに議論が始まるが、どれだけ手を尽くしてもこういう事が起きる。福祉国家と言われるノルウェーなどでも突発的な虐殺が起こった。
もう15年も前にミスチルが「タガタメ」という曲を歌った。たしかその当時の子供の殺人事件についての曲だった。
子供らを被害者に、加害者にもせずにこの街で暮らすためまず何をすべきだろう?
この世界にひそむ、怒りや悲しみにあと何度出会うだろう、それを許せるかな?
これは子供同士の殺人だったための歌だが、今回は一方的に殺されてしまった。だが僕はこの歌を思い出した。
左の人 右の人
ふとした場所で
きっとつながっているから
片っ方を裁けないよな
僕らは連鎖する生き物だよ
自殺しなくても犯人は長い裁判の末、死刑になっただろう。犯人を語り尽くしても、だいたい似たような環境にいる人がネットで見つかるだけだ。そして違いは人殺しかそうでないか、つまり狂ったかそうでないかだけが浮き彫りになる。同じ環境でも踏みとどまっている人がいるということだけがわかる。
なので今は児童が立ち直れるように、亡くなられた女児一人が天国に行けるように祈ることしかないのだろう。