フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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孤独な男は歳をとるほど頭がおかしくなる

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川崎殺傷事件 市「『ひきこもり傾向』と聞いていた」 | NHKニュース

 

僕が25歳の頃、今と変わらず独り身だったが将来に対して今のような悲観がなかった気がする。ネガティブといっても、仕事に対する不安であったりして、世間を冷静に見ていたわけではない。そして今、仕事のキャリアは上限値まで来て、30もとっくに越えて、やることがなくなった結果、精神は落ち着き、しかしながら社会悪を探すようになった。精神は落ち着いているのだ。当面は生活の心配もない。ただ薄々気づいていて、見て見ぬふりをしているのだが、僕の頭が狂ってきているな、ということである。精神病というわけではない。加齢のせいだと思う。

 

僕がブログ記事を量産し始めたのはここ2年ほどだから、10年前、20年前の当時の感情みたいなものは覚えていない。だがやっていたこと、フォーカスしていた趣味みたいなものはある程度覚えている。

 

例えば10代の頃は、圧倒的に音楽とお笑い番組、小説、映画などに費やしていたと思う。今月にミスチルのライブに行ってきた。高校生、中学生の頃繰り返し聴いた昔の曲なんかも歌っていたのだが、あまり感動しなかった。もちろん楽しかったしチケットが買えて良かったとは言えるのだが、中学生の頃、震え上がり泣きたくなるほど感動した曲も、その魂を揺さぶるものが遠い思い出に感じられた。

 

お笑い番組だって10代の頃は泣くほど笑ってたくさんの番組をビデオに録画してみた。映画はTSUTAYAで借りてたくさん見た。「シンドラーのリスト」には涙を流した。先週、アルベール・カミュの「ペスト」を実に15年ぶりに読んだ。高校生の頃に感動した記憶があったのでkindleで買っていたのを消化した。まさしく消化しただけだった。記憶にあった「惜別の切なさ」みたいなものが全く感じられず「あれ、こんなもんか」と思っただけであった。ただただ虚しくなった。

 

20代の頃には邦楽を聴かなくなっていたが、流行りの洋楽を聴いて、初めて行ったクラブは酒と相まってこれほどの体験があるのか、と打ち震えた。だが回数を重ねるごとに程々になっていき、最近は曲調の変化もあってか、宵も酔えぬ。数年前は水商売のお姉さん方に金を貢いだが、今となってはLINEの誘いさえ既読スルーにし、酒を飲むことも少なくなった。

 

冒険心はなくなり、心は乾き、どこへ行っても何を見ても10代、20代の頃にあった情熱は消え失せ、暗い日本と重なってただただ暮らしていく毎日だ。そうやってニュースを見て、怒りや悲しみをブログに綴る。

 

簡潔に言って頭がおかしくなっていく。人間は連鎖する生き物なので、その連鎖が止まりがちになると、その原因を探して社会を恨んだり、誰も知らない未来を勝手に暗くしたりするようになる。希望というのは何かしらの目的があって初めて抱けるが、食って寝て仕事だけして過ごしていると、あっという間に負のオーラにまみれる。

 

そうして過去の情熱を取り戻そうと思って、10代の自分が感動した物事に触れて見たが、その当時の自分とは全く思考が異なり、未熟さもなくなって「まあ、こんなもんか」で済ませてしまう。結婚して子供がいれば、その成長を毎日見守るのだろうが。30代でこれである。これが40代になり50代になれば、孤独な男はどうやって生きていけばいい。趣味に生きろとか、おとなしく死ねとかいうが、ここまで精神が乾くとは10年前、20年前の僕は思うても見なかった。

 

傍から見れば、ただ電車に乗り仕事に行き、そうして飯を食い週末は適当に過ごしている中年だ。だが心は暗いのだ。普通の人に見えても、敵を探しては頭の中で攻撃をしかける。もちろん他に対する攻撃妄想だけではなく、説教する人が心の何処かにいる。お前はだめだなとか、そんな考えは馬鹿げているとか。そうすると敵意と説教の妄想に苦しんで発狂する。

 

何もすることがない男たちというのはそういうものではなかろうか。さらに生活不安、もはや逆転することのないキャリア、老齢、頼ろうとしていた両親の老いや逃れられぬ死別が目前に来ると考えるだけで、精神が摩耗する。

 

友人もおらず、家族はこの世から去ることが見えていて、経歴はぱっとせず、金持ちということでもない。嫁子供もいない。孤独に加えて貧困なら、正常な精神なんて保てるのだろうか。人を殺しはしないとしても、その精神不安をどこへやればいいのだろうか。

 

友人も結婚して少なくなり、愚痴り合う機会もなくなる。あるいはもともとそんなものがない人々は若さだけが拠り所なのだ。若ければ無限の夢想ができる。毎日努力をしなくても、希望に満ちた想像ができる。だが年をとれば方々から無言の圧力がかかる。結果を出している隣人も見えてくる。自分にはもうなにもないと理解したときの絶望はいかばかりなのだろうか。

 

人生は無情だ。ガハハと笑い飛ばして過ごせればいいが、人間関係を構築しそこねた孤独な男は、寿命までのロウソクが一本ずつ消えていくたびに、少しずつ気狂いに近づいていくのではなかろうか。まかり間違ってロウソクを倒してガソリンに引火したならばどうなるのか。加齢、不健康、孤独、貧困が重なることに誰も耐えられぬ。

 

せめて誰にも迷惑をかけぬように、ただ静かに消えれたなら幸いである。数年前には実感がなかったことが今はわかる。ただ歳をとるのが恐ろしい。