フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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生きることが絶対的に正しいと思う人々

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かなり沢山の人達が「死ぬなら一人で死ね」と言っていて、特に有名な人がそういう発言をすると案の定燃える。一人で、というのは冷たすぎるというのは理解できる。ただ「一人で死ね」というメッセージが拡大解釈されすぎている流れだなあとは思う。もとはといえば殺人犯に向けて放った、感情的な発言にすぎないのではないか。人を殺すぐらいなら一人で自殺してしまえ、という人は世に多くいる。さらに人情として、死ぬほど苦しいとしても赤の他人を殺すぐらいなら一人で死んでくれ、と思うのはわからんでもない。死ねという部分が主題ではなく、他人を殺すなというのが大半の人の気持なのだ。純然たる自殺志願者と、他人を殺せるほど振り切った人への感想は分けるべきだ。

 

死ぬくらいなら、他人を巻き込んででも、生きることを模索し続けてください。

あなたの死に他人を巻き込むのではなく、あなたの生に他人を巻き込んでください。 

 

冒頭のリンクで気になったのは最後の文だ。生きることは絶対的に正しいという勢いにあふれている。毎日たくさんの人が自殺しているがその理由はどういうものなのだろうか。聞くところによると病気の理由が多いそうだ。経済的な理由などもある。

 

世の中には治らない持病を持つ人は多く、耐え難い苦しみをは味わい続けざるをえない人もいる。そういう人は、もう勘弁してくれ、なんでこんな苦痛に耐え続けなければならないのか、と思っているかもしれない。そんな時、苦痛に耐えても生きろ、とは僕は言えないのだ。生きるより死ぬほうが楽と思える瞬間はあるだろうな、と時折思う。

 

そもそもが何らかの原因があって死を選ぶのだが、その死を選ぶほどの苦痛を他人がどうこうするのは難しい。治らない病気もだが、経済的な事情だとお金を渡すぐらいしか方法はないのだろうし、それをできる余力もない人がほとんどだ。経済的な苦しみというのは、本人の稼ぎが少なすぎたり、自活力が著しくない、あるいは宗教やギャンブルに傾倒しているなどであれば、もはや他人が救えることはないだろう。生活保護を受けるぐらいしか救いがない。その生活保護もバッシングぎみだし、それ以上に国庫が逼迫している現状だと、まっさきに削減対象だったりする。

 

塗炭の苦しみを味わっている人がいたとして、そういう人に的確なアドバイスも忍耐強いサポートもできないとしたら、希望を持って生きろというのは、苦しみ続けろといってしまうのと同じではなかろうか。死んでしまえば現世の苦しみからは逃れられる、そう思うような環境に陥った人というのは平凡な人々には救いがたい。それを何とかして生きろと言い放つのは、拷問に加担しているようなものではなかろうか。

 

自殺志願者へケアが必要だとしても、僕は世間があまりにも生存至上主義すぎていたたまれないと思うことがある。死ぬことが生きる辛さからの開放だと思う人の意見も尊重すべきだと思うのだ。そりゃあ豊かに五体満足健康で、精神も安定して生きていければ誰だって最高だ。しかし現実、そういった生活が実現できる見込みもなく、病気に苦しめられながらこれなら死んだほうがマシじゃないか、と思う人だっているはずだ。

 

そんなわけでやっぱり「死ぬ権利」も尊重されるべきだ。生存を他人に強要しなければ済まない健常者達の理屈というはどうにもこうにも受け入れがたい。

 

「オレはお前個人をサポートしねえしそんな力もない、ていうか誰もよく知らねえ。政府が救うことは期待できないかもしれないが、生きてりゃいいことあるから、苦しみながらでも生き続けろ、一人で死ぬなんてぜってぇ許さねえ、そんな社会は糞だ、お前は苦しいかもしれないが、他人を巻き込んですがってでも生き続けろ」

 

という趣旨の発言をしたくないのだ。もちろん僕の昔ながらの友人や家族ならばサポートもするし生きろと言うが、他人に対して無責任に生存強要すべきではないと思う。特にネットのパーソナリティのわからない、どれほど苦しんでいるかもわからない上、サポートができるわけでもない人に、生きろとは言えないのだ。

 

正解は沈黙することなのかもしれない。個別の事情がわからぬ以上うかつなことは言えない。だがこの社会における。生存至上主義は本当勘弁してくれと思う。僕だってむちゃくちゃ苦しい状態が続く生活なら、楽に恐怖なく死ぬことを選ぶかもしれない。そういう日のために、サクッと死ぬシステムと死を選んでも無問題な社会があればいいなあなどと思ったりもする。

 

ガッツで生きるみたいなことができる状態の人は、もともと死なないタイプか、目的があって死にたくないと思っている人たちなのだろう。自殺志願者だって死ぬことを止めてほしいのではなく、死にたくなる理由をどうにかしてほしいと思っているのだろう。死にたいと思った人を止めるよりは、よくある自殺原因を防いだ方がいいのだろう。パワハラ・いじめとか、経済的な困窮とか。いずれにせよ、死の覚悟まで決めた人にかける言葉は他人である僕にはないのだ。

 

殺人鬼に対して「一人で死ね」という人々について責めることもしない。人間的な感情だと思う。ごく普通の人々は、人殺しの力もないただ疲れ切った自殺志願者にまでそのようなことは言っていないだろうと思う。