フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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子育てとベビーカー散歩の難しさ

姪っ子が先日、1歳の誕生日を迎えた。子供は昔から好きだったが、大人になって幼児が身近にいるという経験が長らくなかった。姪のためのプレゼントを買いに母と姉と姪の4人で難波まででかけた。

 

僕は後から買い物に加わったのだが、先に母と姉の2人で目ぼしい店を回っていた。プレゼントは僕のセンスで買うと失敗するので本人達が欲しがっているものを聞くのが一番いい。予算1万円程度で考えていたが、母が猛プッシュした子供用のテーブル椅子セットが2.5万という価格で面食らった。変形させることで大人も座れるし揺りかごにもなるというものだが、実際に店頭で試すと僕のような大柄な人間でも座ることができた。小学生になっても使えるのだから、中途半端なものを買うより良いだろうと買った。

 

この3万近い出費というものを考えて、子育てというのは周りの人間が手助けせねば金銭的にも大変なのだなあと思った。もちろん子供用の椅子といっても安いものもある。例えば一番安いものは7000円程度だった。しかしながら本当に幼児期しか使えないもので、椅子の部分の高さを調整することができない。安かろう悪かろうである。

 

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貧しい人ほど結果的に高い金を支払うという記事を思い出した。3万円という金をポンと出すというのは普通の家庭にとっては厳しい。だから子供用のテーブル椅子を買おうと思って、安いもので妥協すると目的は果たせるが、子供が成長したら捨てざるを得ない。だがここでポンとお金を出すことができるなら、幼児が食事を取るテーブルにもなり、テーブルを外せば大人でも座れる椅子にもなるような製品を買うことができて、長期的に見れば余計な買い物をせずに済む。だがそれが払えない人は、幼児用に特化した商品を買わざるを得ないので、幼児期が終わればそれらを捨てることになり、小学生になればそれ用の椅子を新しく買うのだろう。

 

購入した後、姉の自宅に向かって歩いて帰った。姉と母は電車に乗るより2駅歩いた方が楽だと言って僕らは歩いて帰宅した。難波の繁華街からベビーカーを押しながら帰るのは辛かった。電車は人が多くエレベーターの位置を把握したりするのが疲れるそうで、彼女らは嫌がった。その日は日差しがキツくはなかったが、これから夏に向けてドンドン気温が上がる。そんな時にベビーカーを押して外を歩くのはつらかろう。それに繁華街の周辺は人が多すぎるし、自転車なんかも歩道を通る。僕はベビーカーを押しながら、すごく面倒だな、などと思った。

 

都市での子育ては、このように過剰な人との接触が避けられない。ベビーカーはエレベーター内に入るときもスペースをとって周りに気を使うし、道路を走っている車にも気をつけねばならないし、ひたすらに疲れた。姪っ子が生まれてからというもの、僕は完全に子育てというものに自信がなくなり、結婚願望が雲散霧消した。姉の家で面倒を見てても、子供の相手をするのはいいけれど、他の作業が一切できなくなるということを実感した。実際に掃除や料理や食器洗いなどは、かなりシビアなタイミングを要するし、おまけに子供は汚しまくる。姉の家は少々汚れ気味だった。

 

専業主婦の姉でさえこうなのだから、共働きともなるとそりゃあ旦那も家事育児しろやとなるだろうなと実感したのだ。姪っ子の可愛さはちょっとした手間や金に関しては気にならなくするが、自分が毎日子供と相対するとなると、これはちょっと難しいな、と思った。そりゃあ少子化にもなる。