フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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涼宮ハルヒの憂鬱の思い出

7月はいつだって晴れで蒸し暑く、熱気でうんざりするのが常であったが今年は違った。ひたすら雨がふり、気温は低く、楽しみにしていたサイクリングも出来なくて憂鬱だ。仕事は悪い環境ではないのに、自分があまり有能でないことを気付かされているので輪をかけて憂鬱だ。そうして今日飛び込んできたニュースは、数年に一度は必ず何かしらの形起こりうるとは言え、憂鬱を加速させる凶悪犯罪だった。

 

涼宮ハルヒが大流行したのは僕がまだ20歳ぐらいの頃で、ニコニコ動画がまだ日本初のクールなサービスだったころだ。僕はこのIT業界で何も知らない新人として働き出した頃で、今ほど仕事ができない上、態度も悪く傲慢で信頼もないが、それに感づいていながら改めることもなく、ただ悶々としていた。若い頃はだいたい傲慢になるし、理由なき万能感が心にある。だが現実は程遠く無能者のそれであった。

 

そういう人はどこかに逃げ場が必要だ。そしてその当時の逃げ場の一つが涼宮ハルヒであったように思う。ハルヒの流行は原作の力もあるが、やはりアニメ化に伴うハルヒダンスの動画拡散が印象深い。涼宮ハルヒをスターダムに押し上げた一つの要因であることは間違いないだろう。

 

ご多分に漏れず僕もそれによって原作を読みアニメを見て、ハルヒの世界に入り込んだ。京都アニメーションがなければ僕がライトノベルを手に取ることはなかったかもしれない。もともと権威主義的で純文学などを好んだし、ライトノベルの白々しい描写やお決まりパターンにはのめり込める気がしなかった。そんな僕でも、ハルヒ・ワールドには引き込まれた。ライトノベルの中でもしっかりとした起承転結を持って作られているし、キャラクターはそれぞれ役割があり、当時の流行だったツンデレ主人公スタイルは魅力的だった。

 

何よりも若かった。20歳そこそこだったから、高校生活はそんなに昔の話ではないし、今ではすっかり失われた「青春の感じ」がまだ残っていたのだ。現実のイマイチさが過去と虚構のノスタルジーを求めていたんだろう。夢中で読んだし、実質的な最終巻となる「涼宮ハルヒの驚愕」は発売日に買って、仕事をサボって読んだ。

 

アニメ史上の伝説となる「エンドレスエイト」はリアルタイムで毎週見ていた。2話で抜け出すと思っていたのに3話目もループに突入したのときは声を上げて驚いたし、当時の実況スレに書きこんだりして高揚感を共有したのを覚えている。その後8話まで続いたのはみんなと同じようにゲンナリしたが。

 

何にせよ、涼宮ハルヒを人気者にし大衆と思い出を強烈に共有させた功績は、原作者と同じくらい京アニが持っていると言えるのではないか。京アニのクオリティが作品に息を吹き込んだと言えるし、深夜アニメを「普通の人」にも広げるきっかけとなっただろう。今ではラノベ、なろう小説発の深夜アニメは水商売の若い女性だって見ていたりする。もはやオタクだけのものではないのだ。

 

20代初めに涼宮ハルヒを知れたことは間違いなく幸福だったし、その後の僕の人生に影響を与えたのは本当なのだ。権威主義的でなくなって、俗っぽいものが悪とは限らないというふうな考え方になった。それは紛れもなく良い方向だった。今でもハルヒの続刊と残りの原作のアニメ化を期待していた。

 

だがそれも絶望的になっただろう。定期的に狂った殺人犯は出てくるし避けられない。あるときはナイフで、車で、夜に昼に現れて、無実の人たちの命を奪う。幸い僕の知り合いたちは巻き込まれたことがないが。だが京アニ社屋への放火は、ノスタルジーとは無縁の本物の憂鬱を僕に与えた。

 

詳細はまだわからないが、涼宮ハルヒアニメ作成に携わった人たちがいたかもしれない。それに150名程度の規模の会社で30名を超える人が命を奪われた。ネット情報によれば、直接アニメ制作に関わる仕事の人たちが多いと聞いている。元々色んな作品を手がけていて数年分の予定は決まっていたから、ハルヒ続編の予定があったわけではない。それでも間違いなく僕の若い時代の一部を作り上げた作品の、会社が大打撃を受けて、もしかしたら再起不能になるかもしれないという事態に陥った。

 

そしてそれは忘れそうになってはたまに思い出す続編の期待を消し飛ばしたし、感謝を伝えることもなく永遠にその機会が失われた製作者がいたかもしれない現実が、僕を憂鬱にさせる。

 

もしかしたら万能無口の宇宙人、ポンコツ未来人と機関のエージェント、本名も知らない平凡な少年、世界に干渉できるツンデレ少女が悲劇の運命を書き換えてくれないかなあなんて、つまらないことを思ったりもするけれども。京アニが作ってきたのは癒やしの空想空間であって、現実はやっぱり憂鬱でひどいもんなんだなあって逃げ場を与えずに叩きのめしてくるんだから。

 

失われた命はもどらないけれども、価値観を塗り替えた作品を生んでくれた会社や人々がいたってことは忘れないでいたいと思う。