フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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絵しか描けない人に知性まで求める世知辛い世の中

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イラストだとかデザインとかでそれ相応に地位も名誉もある人が、それとは全く関係のないところで評価を落とすシーンを見てしまった。辛いなあと思った。もちろん意見の表明は自由であり、その結果評判を落とすのは自己責任と言えるのだが、これであの人のエヴァのイラストを見るたびに、あまり知性もネットリテラシーもない人が書いたんだなあ、と思い起こされてしまう。

 

そもそも芸術家の中で知性もあるというのは稀で、モーツァルトだって作曲の神性を除けばシモネタ大好きの俗物だったらしいし、そもそもが芸術的な能力があるから知的であるという図式は成り立たない。ところが21世紀という時代には、極めて残酷なインターネッツのテーゼがあって、僕のような地位も名誉もないような輩でも意見表明ができる。過去意見を表明することは、テレビに映る希少な人か、雑誌などで物を書くしかなかったが、そういう時は誰かがフィルターになっていたのだ。

 

twitterにせよブログにせよ基本的には編集などがいないのだから、プロから言わせればこれを書いちゃ駄目でしょ、ということもノータイムで発信できる。ストップは全て胸先三寸、自分次第。ここに非常に洗練された客観性がないと読者を怒らせたり、無用な反発を受けたりするのだろう。そうはいっても並大抵のことでは身に付けられないだろうし、僕だって無名だから炎上しないだけであって無数の放言をしてきているのだし。

 

絵のうまい人というのは、それだけ絵の修練を積んだ人であり、政治的な知識やネットでのクソリプ応酬の経験や、言論世界での立ち振舞などは身に着ける時間などなかろうと思う。そのような無駄な時間に費やすより絵を描いてきたからこそ地位がある。絵の世界で名を馳せても、そりゃあそれに全てを費やした人が全く違うステージで尊敬をされるというのはないものだろう。政治的な発言というのにも修練とセンスがいる。問題なのは、意見を表明するのが自由とばかりに自分の置かれた立ち位置や地位や責任さえも理解せず発言してしまう脳みそなのだ。

 

匿名ならどれだけ暴言を吐いてもいいだろうが、著名でビッグタイトルに絡む人物となれば話は批判違う。そういう立場になったなら、すべての分野に対してある種の恐れと敬意を持って臨まねば足元をすくわれる。政治的な発言をしたいなら、無難な発言に終止するか、自分の持っている絵の実力と同じくらい修練を積むか、もしくは何も話さないかである。結果として、無難な発言に留められるほどの慎重さはなく、足元をすくわれるかもしれないという想像力もなく、後ほどの対応は「逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ」と言わんばかりに、炎上者にありがちな二重三重の見苦しい振る舞いを見せつけるという拙さ。されればされるほど内省的になれずにムキになって考え方に固執してしまうなど、いかにもネット初心者。

 

だが悪いのは本人よりもネットというある種ガソリンなみに危険な代物なのかもしれない。ガソリンなどは管理責任もあるし、常に携帯するようなものではないが、ネットはほぼ常時接続。いつでもどこでもその危険性と隣り合わせ。だからネットリテラシーが必要だ。過激なことを言う時は匿名でやるべきだし、ロム専用のアカウントを持つべきだし、切り取られそうなtweetはやめるべきだし、難題を語りたければ言葉を選んで長文で対応した方が良い。絵に人生のほとんどを捧げた人がそれを身につけるのは難しいかもしれん。本来なら身につける必要のない能力だし。やはりそこでクレバーな頭があればアカウントを持たないという判断ができる。ハンターハンター冨樫義博とかワンピースの尾田栄一郎とか持ってないしね。

 

いずれにせよ数十年前は不要だった能力を身に着けないとあっと言う間に名誉にドロをぶっかける羽目になるというのは辛い時代だなあと思う。絵を描く人は絵を描くだけでいいはずなのだが、本人が心の承認欲求や社会への意見を抑えきれないと、手持ちのデバイスであっという間にポチってしまう。その後の結果を予測できる知能がないなら、もはや止める手立てがないのだ。

 

そうして僕のような野次馬から空虚な消耗品のように話題にされる。

 

笑えばいいと思うよ。