フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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プログラマが死ぬ時

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プログラマはいつ死ぬと思う・・?」
デスマーチで3徹した時・・・違う」
「営業が出来もしない納期で依頼を受けた時・・・違う」
マイクロソフトIEのバージョンを上げた時・・・違う!!」
「・・・技術への興味を失った時さ」

 

あまりにもホワイトな企業の依頼を受けてから半年間だった。にもかかわらず不安でいっぱいだ。まずこのホワイトぶりを知って次のプロジェクトがひどいものだったらと思うと、まだ予定も決まっていないのに涙がでる。

 

様々なニュースを見るに不況目前のように思える。日本国内でみても10月からの増税、五輪前の不動産価格の下落、一方でドイツ銀行不良債権CDSデリバティブを8000兆円抱えていて企業倒産が増えれば一気に銀行の危機に陥るとのニュースがあったり、ボリス・ジョンソンがNo Deal Brexitに突き進んでいるらしいとの懸念がThe Guardian紙だとかBBCで報じられている。底なしの米中貿易戦争は中国経済を徐々に冷え込ませているということは言われており、様々な指標が悪化している。

 

忘れもしない2010年ごろ。駆け出しのプログラマだった僕はリーマンショックの影響で所属会社の仕事を失い、半年もの間事務所待機となり(社長は心優しく給料を全額負担していたのだ!)、それでも仕事がない事に耐えかねた社長に僕はクビを言い渡された。それから1年近くフラフラして、悪名高いAmazon倉庫のバイトや荷揚げやの派遣をやって糊口をしのいでいたのだった。そのフラフラとした生活の中でプログラマを引退しようかとも思ったが、社会の最下層のアルバイト生活に嫌気がして再度就職した。

 

僕が大不況から学んだことは

「会社はいつまでも守ってくれない」

「バイトに比べればSIerの下請けの方がマシ」

「技術がないと飯にありつけない」

そんなところだった。

 

それから約10年。僕が学んだことを完全に活かしているとは言い切れない。あんまり勉強してないので、不況が来たら過当競争が始まって弾かれるかもしれないな、と思ったり。時折、不安にかられて仕事を失った自分を想像し、冷や汗をかく。この国に安定という可能性はなくなっているし、都会に出て一旗上げるようなやる気も、なにもないし。俯瞰的に見ると東京に出たからと言ってバラ色の世界があるわけじゃない。今よりもっといい生活というのはとんでもない努力と運が必要な世界に踏み込むことになる。

 

 吹けば飛ぶような生活で、だからといって意識高く勉強を毎日繰り返せる胆力もない。やらねば、とやりたくないの間でうじうじしている。そんなことを考えた時、ああこれがプログラマとして死んだ状態なんだな、と感じる。新しい興味、意識が高いとさえ言われない振る舞い。死んだ。

 

秀丸エディタでコーディングするおじさんだって昔はその当時の最先端の振る舞いをしていたのかもしれない。いつかプログラマとしては死んで、そのままゾンビみたいに動いていたら、結局のところ秀丸おじさんと同じ立ち位置になるのではないか。あの人遅れているよね、って内心で思われる人間になってしまって、蔑まれるだけならいいが、仕事も失って飯を食うのも困る人になってしまうのではないか。

 

だとしてもだ、プログラマとしては死んでも人間としては生きている。つまりプログラマとして復活することはできるのではないか。脳みそが動いてさえいれば、新しい知識を吸収できる。人生において勉強の時間さえあれば何度でも蘇るさ。

 

いいこと言ったので今日は寝るね。