フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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脳ミソがブッ壊れるなら

妄想というのは止まらないもので、ある時自分がこうだったらという想定をする癖がある。勝手に想像しては寒気が止まらなくなるのが知的機能が壊れることだ。例えば不愉快さや痛みを伝えたいが、言葉がうまくでてこない。周囲の人は何かを伝えようとしていることまではわかるがそれが何かを理解しない。頭は動いていて苦痛を感じる程度の認知はあるが、それが言語かできない。そういう状況に陥ったとしたらどれほどの恐怖を感じるのだろうか、と思う。

 

そのような状態になったらいっそ殺してくれと思うかもしれない。だがそれさえも伝えられない。正常に体が動ければ自殺もできようがもし事故などで、体も頭もうまく使えないが、意識だけはあるとすればどうだろうか。ああ、たまらない。殺してくれと叫びたくなる。僕個人は要介護状態になったり、胃ろうしてまで生きたくないのだが、日本の法律と常識上はそんなこと許されない。

 

とはいっても五体満足の現状でそんなことを想定してもどうにもならないわけで、想像するだけ無駄というものだ。脳みその正常性というのは奇跡であり、精神疾患から事故による損傷まで、異常になってしまう原因も様々ある。自分一人が働いて日常生活が送れるぐらいなら「正常」と判断していいと思う。人それぞれ苦しみはあるだろうが、働いて生活が送れればなにはともあれ及第点ではないだろうか。僕がそれができなくなって家族に面倒をかけたりするのは本当に嫌なのだ。かといって異常な脳を抱えて飢えて死ぬまで待つのもゴメンだ。

 

だから本当なら政府とか行政が「あなたの脳はもう元には戻りません。大金を積んで手術をしても治りません。だから安楽死の措置を取ります」というような判断をしてくれればいいのになあと思う。免許証の裏に臓器提供の意思確認を書く欄がある。そこに脳死状態になったら、重篤な障害を負ったら安楽死してほしいという回答欄がほしいぐらいだ。そういうルールがあれば僕は安心できる。どうせ重度の障害を負ったらサックリ殺してくれるんだからってね。

 

大事なのは働いて自分で飯を食えるかどうかで、これができないと人間としてはもはや誰かのお世話になるぐらいしかない。家族は金持ちではないし、福祉の世話だってこれだけ逼迫した財政でどうやって僕に福祉を割り当ててもらえるのだろうか。今後はどんどんカットされて行くのが目に見えているし、年金も覚束ない財政で福祉の増額を要望したところで無い袖は振れないと言われるだけだ。

 

脳が正常であっても、例えば子供なんかはまだ自己表現の手段が曖昧であるがゆえに、親に伝えきれずストレスをためて泣いたりすることもある。子供だからそれも許されるが、自分の記憶を辿る限り、とてもストレスだったような気がする。つまり僕は「ちゃんと伝えられない」という経験がある。イギリスに行った時に感じた極度のストレスもそうだった。英語が大雑把にしか伝えられない、伝わらないということが結構しんどかった。脳に異常がきたすというのは言語をうまく操れない外国生活に似ているのかもしれない。

 

僕がIT業界に不満を持ちながらしがみついている理由でもあるのだが、バイト生活に戻りたくないというのがある。こう言うと失敬千万で怒る方もいようが、アマゾン倉庫などの軽作業はその作業よりも、構成する世界そのものが言語的に高度でないというとこがありストレスだった。軽作業とかいうのは作業スピードが早ければ早いほどよく、集中力があればあるほどよい。いくら早くても給料が飛躍することはないのだが、その世界で構成する序列(なんというふざけた観念)などの価値観もあって、作業が早く正確であれば偉そうにしてよい、出来ないやつにはマウントを取ったり小馬鹿にしたりする態度を取ってもいい、そんな空気感がある。

 

どんくさい僕はあの世界では敬意を集められるような立場になれないし、ただ体の動きを正確にするという動物のような働き方に加え、腕っぷしが立場そのもののジャングルのようで嫌いだった。そこでは知能をひけらかす機会もないし、クダを巻くなら動け、の社会なのでもはや人間である必要もないんじゃないかと思うし、ご多分にもれず大雑把な作業は機械化されている。アルバイト生活の方には申し訳ないが、もちろんマウントを取る人は全てではないというか少数派だし、ただマウントを取ったりコケにするような態度を取る人はとことんひどいし、おまけに低知能っぽいひどさ、オブラートに包まない罵倒、与えられた脳ミソを使わない語彙力が猛威を振るう。それに比べたら学習能力がすべてのIT業界はまだマシというか、ある程度できるようになると人間関係的にはそれなりの敬意を払ってもらえる。ただし長時間労働や納期の設定ミスで仕事が殺しに来るというデメリットもあるが。

 

脳ミソがぶっ壊れる恐怖というのは、あの粗野で脳ミソが10MBしかないようなアニマルになってしまうような恐怖と言えるかもしれない。自分の頭が良いとはとても言えないが、さすがに罵倒の言葉をリアルに他人にストレートに投げられるような恐ろしい思考回路を持ってはいない(リーナス・トーバルズのような例外もあるかもしれないが、IT業界は建設業界に比べれば超穏健である)。脳が壊れるとメンタルコントロールも下手になるらしいし、社会や周囲を理解できないからストレスを受けやすくなって、なおさら怒りっぽくなったりするんだろう。脳が正常に働いている人の中にも、メンタル不調で周囲にあたる人というのは認知能力や解釈する力が低くて、常時ストレスを感じている状態ではないかと思う。ああいう風に僕もなるかもしれないのか、と思うと耐え難い恐怖を感じる。

 

思えば問題を解決するのが難しく、表現が下手くそなことで凄まじくメンタルを崩した人が身近にいて、普段なら優しいのにその時期は頭がおかしくなったのではないかと心底心配した。まあそういうことなんだろう。表現が下手、うまく物を伝えられない、解釈ができないというのは精神に密接につながっている。そのレベルはグラデーションではあるが、僕にとって今の僕より劣る能力の世界というのは、野獣だらけのジャングルに素手で入るような恐怖を感じさせる。プログラミングできるほどの知性はなくなるが、簡単な軽作業はできる程度の身体になってしまったら、なまじっか学習が評価される分野で、アルバイトとは比較にならないお金をもらっているだけに、死にたくなるんだろうなと思う。若く何も知らない学生だったから飲食店のバックヤードや軽作業や重い建材をひたすら運ぶ仕事をしていられたのだ。若いから出来なくても許された。それでも面罵されたり、される人を見てきた。思い出すだけで動物園にいる気分になる。あのような関係性は人間である必要性がない。そうやって罵倒してスキルを自主的に高めろと精神を削る。恐ろしい世界だ。意思の疎通ができないほど脳ミソが壊れたら躊躇なく殺してくれ。そういう社会システムを導入してくれ。原始的な感情だけが残るなんて嫌だ。

 

だからこそ脳ミソが使える間に金を蓄えて投資して、そうして何もしないで生きていけるようにならないといけないのだなあと強く思う。

 

「まあどうせ安楽死させてくれるし」という安心感のある社会が実現してくれればいいのにと思うよ。