フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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ChatworkとTシャツのシミ

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僕がまだ自分の仕事も覚束ない頃、とある中小企業のSES派遣プログラマとして在中していた。僕自身も中小企業に所属するプログラマで派遣先も小さいweb屋であった。事務所内は特に広くもなく、よくある長机にPCを置いて隣前と向かい合って仕事するような普通の場所であった。そこで僕はなにかブラウザで動く、顧客管理のシステムを作る仕事に入ったんだと思う。何しろ何年も前のことで何を作ったかも覚えていない。

 

そこで1人のメインプログラマがいて、その方はプログラムの不具合やら設計書の不備はメールで知らせるという仕組みで仕事をすることになった。現在のようなGoogle DocsやらGitのようなものもまだ発展途上だったように思う。だとしても不具合報告やら質問事項をメールで管理するというのは「冗談だろ」と思わせるものだった。別に広くもない部屋でお互い向かい合って仕事をしているのである。そうじゃなくても共有できる方法は他にあったような気がする。おそらく証拠に残したいという意思があったのだろうと思う。半人前の自分はさすがにメインプログラマの方針に反対することもできなかったし、代替案もなかったのだ。

 

ところが、始めて見るとすぐに問題がでてくる。一番の問題はメールだとありとあらゆる言葉がまるで敵対的に見えるということだ。ここで絵文字とかを使えれば緩和できるが、敬語というのは非常に攻撃的に見えるものなのだ。特に「指摘」という一点においては。僕はそれが好きではないし、というか設計やわからないところなどを上に指摘する文面を残すというのが憚られたので、目の前にいるのだからということで口頭で聞くことにしたと思う。なにせ何年も前のことでちょっとうろ覚えだ。

 

そうして実装が進んでいくとメールの可読性の悪さがでてくる。メインプログラマはガンガン送ってくるが、僕の方はあまり送信しない。時折文面として残しておきたいものだけをメールで送るのだが、その時CCにチーム全体のアドレスを設定することをよく忘れた。それに対してメインプログラマは辛辣なメールを送ってよこした。CCにチーム全体のアドレスを設定するのだから、これははっきり言って晒し上げのような仕打ちでありその時点で僕の心は萎えた。

 

ある時javascriptAjaxの処理を書いているときに全然動かないということがあった。メインプログラマに聞いたのだが、彼は時間を与えるから頑張ってみろという方針をとった。その当時のIDEは今ほど便利ではなく、僕の間違いというのは今ならIDEが自動指摘してくれるようなjavascriptの文法ミスだったと思う。そこでさんざん手間取ったあげく、メインプログラマがそこをあっさり引き取るということになった。当時の僕にはただただ情けない苦い記憶として残った。当然現場での僕はそういう状態だと所属会社に通達されるので会社での立場も完全に失うこととなった。率直に言えば、その当時の実力のなさを抜いても、立場の非対称性を利用するかのような方針は僕の心に残った。彼は自分の気に入らないコーディングはどんどん指摘するので、彼の書き方に合わせねばならなかったが、そうするとよくわからないということがあった。自分なりに自由に書ければ動くものは作れたかもしれないが、コーディング的にナンセンスなのが嫌だったのだろう、彼はコントロールしようとして、僕はついていけなかった。その時期の記憶は、白いTシャツにほんの一滴だけついた醤油のあとのような、そんな感じで今も残っている。今であれば情報や方針の非対称性そのものを先回りしてある程度潰すこともできるが、その当時の僕はウブで下手くそで不器用なだけで役にも立たなかったのだ。

 

しかしメインプログラマは辛辣に見えるメールとは違って態度は温厚であった。もしかしたら口頭の指摘が得意でないから文面という彼のフィールドに持ち込んだのかもしれない。彼はそれなりに意識が高いプログラマで、テック系イベントに参加したりしているという話をしていた。その当時の僕にはそのようなカンファレンスにでる人材というだけで珍しいものだったため顔も名前もすぐ忘れる僕なのに今でも覚えているのだ。

 

仕事はそんな調子だったためあっさりと契約を切られたわけだが、契約が終了する月のある日、そのメインプログラマが退社するというような話をPMとしていた。指摘事項をメールでやり取りするまでもないほど小さい部屋で、目の前のPMとメインプログラマが話しているのは筒抜けである。話しぶりからちょっとした珍しいタイプの企業に転職するような雰囲気であった。

 

契約が切れてしばらくして、僕は不意に彼の名前でGoogle検索した。SNSに実名登録するようなひとだから転職先がわかった。それがChatworkだった。メールで何でもかんでもやりとりしようとしていた人がChatworkに転職とはどういう考えなんだと思わなくもなかったが、零細企業が故にメッセンジャーアプリさえ有料導入してくれなかったことに嫌気がさしたのかもしれない。

 

その後、ChatworkやSlackは日本のIT業界でも必須のものとなった。僕はというとどこでも使うもんだからChatworkを採用している企業を見るたびTシャツのシミを思い出した。

「メッセージアプリは何を使っていますか」

と技術面談のたびに聞くようにしているのだが

「Chatworkを使用しています」

と回答されるたび

「Slackじゃないんですね」

と言うぐらいがChatworkと僕の関係である。

 

なぜこのような文章を書くにいたったのか、それは2つのニュースのためである。

 

一つはChatworkがもはや再起不可能ではないかというぐらいに株価が下がり調子であrることだ。無理もない。Slackが公式に日本語をサポートし始めたときからある程度見えていた未来ではある。そうしてもう一つ、先月まで契約していたホワイト企業の案件でChatworkを使っていたのだが、ある時そこのPMがチラリ言ったのだ。

「とりあえずこのプロジェクトでは変わりないですが、全社的にSlackに以降することになったんですよ」

僕は、そうですか、となんてことのない返しをしたと思うが、内心は笑顔の絵文字のようになっていた。

 

我々は同じ世界線を生きているが、どこで何が変わっていくかはわからないのだ。株価低下のニュースとともに、一部のエンジニアらしき人がscalaで作り直したという判断を批判しているコメントを見た。メインプログラマがその後scalaを習得し、やがてその企業の将来性がほとんどゼロになりつつある企業で奮闘している姿を想像すると、Tシャツのシミぐらい気にせずにいられるだろう。彼は年をとり、コーディングにおける意識の高さはSNSで発露されなくなっていた。もちろんいつだって零細SIerには戻れるぐらいの実力はもっているわけで、失職するわけでもないだろう。だが彼の不活性になったSNSはその夢の終わりのような雰囲気を醸し出している。僕はそれがたまらなく好きだ。

 

アメリカの競合に勝ち目がなくなった日本のIT企業はやがて自社アプリでの微かな成功で得た信頼から素晴らしい受託企業となる。例えばSleipnirというブラウザを作っていたFenrirという会社は今や大阪で良いSIerとなっている。Chatworkもメッセージアプリで収益の可能性がなくなった場合そうならざるを得ないだろう。そう、つまり「こちら側」である。やがて効率的で良いマネジメント、コード設計と旺盛な技術好奇心を、冴えないプログラマとIT素人の企業との折衝に使うことになる。それはイケてるアプリで世界と戦うというような概念とは無縁の手堅く収益のある大人で夢のない世界だ。

 

僕は今後どんな契約をしてもChatworkを見る機会が減っていき、そしてTシャツのシミも気にならなくなるというわけだ。