フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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外側からの自由、内側の孤独

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熊本の市街地でもなく、阿蘇山寄りの場所でホテルを取り近所の居酒屋に行く。旅人だと知ると色々とサービスしてくれる気さくな大将だった。バイクで九州を回っているというと、さぞ羨ましいと言わんばかりになった。

 

「うちは22歳の時結婚して、23で離婚したんです。娘は無理やり引き取って、それ以来自由がなくなりましたよ。ようやく娘も成人して、独身になりました。でも店やってると全く休みとれんたい」

 

と熊本弁で語る大将の表情は複雑である。確かに20-30代のほとんどを子育てに費やすというのは不自由だったであろう。だけど結婚も子育てもせず、日本人の平均としてもはや結婚の可能性さえなくなる年齢にさしかかった僕の自由とやらに、いかほどの価値があるのか。

 

1週間ぐらいバイクで九州を回って来たんですよ、と言えば確かに羨ましいと思う人は多かろう。そもそも連休とれませんよ、という人はたくさんいるわけで、休みの日は寝てすごすぐらいの金しかないという人はさらに多そうなご時世である。

 

阿蘇山をぐるぐるとバイクで回る旅は楽しい。地元の名産品を食べて気分良く焼酎で酔いが回れば、それも良い。だけどホテルに戻りふと我に帰る。17歳という世間的に若者の象徴たる年齢の2倍の歳になろうとしている。あの頃からさらに17年が過ぎようとしているのだ。

 

バイクで一人旅をする度に孤独を感じる。側から見れば悠々自適の孤独だ。結婚した友人達も僕の自由を羨ましがる。だとしても僕自身は何をしているんだと思ったり、語れる思い出になるだけ家で閉じこもるよりマシだよと思ったり。

 

なんの気遣いもなく、予定さえその日に立てる旅を続けている。阿蘇山の国立公園で風景を見下ろす。木の小さな橋を渡ると岩の間を水が流れ、所々の大きな窪みに水が溜まっている。もし足を滑らせて落ちても誰も助けないし、知られることもなくひっそりと死ぬんだろう。千年の阿蘇山の絶景さえ僕に千年の孤独を教えるのだ。

 

だからみんな酒を飲む。飲んで飲んで脳味噌の思考を麻痺させて、馬鹿みたいになる。そうでもしないと、この世界は耐えられん。万能の自由などない。無い物ねだりを延々と繰り返すのが歳を重ねるってことたいね。