フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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生きていれば無限の可能性がアンタを待っているんだ

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中年になるとかつて自分が好きだったコンテンツを新しいコンテンツよりも優先して楽しんでしまうというところがあるように思う。自分が青春時代に流行っていた音楽や小説、映画、それにゲーム。そういうのがリメイクされたりするとついつい手にとってしまうなんてことはないだろうか。だからこそリメイクビジネスは流行る。来年に出るFF7リメイクなんてのはまあそれの最たるものだろう。

 

ところで僕が11月に入って熱中していたのがFF10HDリマスターだ。PS4でダウンロードしたのはもっと前だが、思い出したようにプレイを始めた。僕がFF10をプレイしたのは中学生の頃。発売されたのは2001年とまあ実に18年前である。間違いなく僕の人生の中でプレイしたなかでも最高傑作の1つである。物語の核心部分までプレイし終わって、残るはラスボスを倒して終わりというところまできている。終わらせたくないなあなどと思いつつしばらく中断した。はっきり言って内容をかなり忘れていたので新鮮に楽しめた。もちろんエンディングとかところどころ覚えているシーンはあるのだが、道中のことはかなり忘れていたし、全体像を把握しているだけに、各キャラクターの色々なセリフなど細かく楽しめた。

 

ショックだったのがプレイしてみると、あれだけ子供の頃、感動していたティーダとユウナの恋愛模様よりも、ジェクトやアーロンの年を食って息子に未来を託すみたいなところに共感を持ったところだ。ああ、僕はやはり年をとったんだなあと。ティーダの母ちゃんは父親のジェクトに夢中で、割とひでえ母親だな、と思ったり。

 

物語の最終盤で、アーロンとジェクト、ブラスカの旅が終わりを迎えるシーンが出てくる。シンを倒すために犠牲になることを決意するジェクトに対し、アーロンが怒りながらぶちまけるセリフがこのエントリのタイトルである。詳細ははしょるが、世界を破壊しまくるシンを倒すには命を捧げる必要があるとかそういうことだ。倒してもしばらくするとまた復活するので、アーロンはもうやめようと言う。

 

 

やめさせようとして出たセリフが

「生きていれば無限の可能性がアンタを待っているんだ!」

 

でジェクトは言う。

「もう無限の可能性ってのを信じる歳じゃあねんだ」

 

ここで僕が死にたくなる。その当時の年齢設定、アーロンは25歳、ジェクトは35歳だとか。息子で主人公のティーダは10年後に17歳。歳食ったんだなあ僕。いくらなんでもひどすきやありませんかね。もう老人みたいなあれですよ。ジェクトが旅を終えたときの年齢と僕の年齢は変わらない。その時のシナリオライターや制作陣の考え方はそうなんだろうなあと思った。まあ確かに10代の若者でもあるまいし、今から人生大逆転するような無限の可能性ってのはないかもしれないな。めちゃくちゃ頑張っててさらに若いという人たちもいるし。20代中盤だったらまだしも30代にもなると、ある程度先が見えている人が多数派だろうしね。

 

久々にプレイしたゲームに現実を叩き込まれた気分だ。あとアーロンは35歳にしたは白髪でめちゃくちゃ老けている。ジェクトも同じく。一体どうなっているんだスピラの30代は。今までずっと40代後半とか50代のおっさんだと思ってたよ。

 

いやしかし、ゲームってのはやはり若者が中心だと映えるんだな。まあ30代のおじさんがキラキラした不器用な恋愛シーンや冒険譚は構成できまい。僕がゲームに感情移入できる時代はとっくに終わったのだ。悲しい。