フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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フェミニストが献血ポスターを叩きまくる事の正当性

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「広告クレームで女性は客観性より好き嫌いを判断基準にする傾向が強い」という研究結果に注目集まる。「男性ホルモンが多いほど公平性が高まる」 - Togetter

 

 

フィンランドで丸い流氷が海岸を埋め尽くす現象の写真に、ゾワゾワする、気持ち悪いというコメントがついているのを見たときにハッとした。僕にすれば単なる丸い氷の集合なのだが、エイリアンの卵みたいだ、という人がいるのである。そう言われれば気持ち悪い感じがしなくもない。

 

公共空間で出現する画像やもろもろの表現などは、個人の体験などによって印象がガラッと変わるのかも知れない。それは単純に嗜好以上の話だ。例えば、丸い流氷をエイリアンの卵に見えるという発想は映画のエイリアンを見た人だけが感じるものではなかろうか。実は僕は映画のエイリアンをちゃんと見たことがない。

 

すぐに話題が沸騰して冷めるtwitter論壇ではあるが、この宇崎ちゃんの献血ポスターは随分と長くもっている。すごく意外だった。公共空間で自分が薄気味悪いと思う表現が出現した時、リアクションを取らざるを得ないという人たちがいるのはちょっとわかる。例えば原爆の悲惨さを知らしめるためだ、と言って大通りに被爆者の火傷写真などを展示させられたら、悪いんだけどそういうのはやめろ、と言ってしまうかもしれない。

 

少し前、大阪難波のマルイビルの近くで、アノニマスの有名な仮面をかぶった男女集団がiPadを持って佇んでいた。何のパフォーマンスかと思ったら、ビーガン集団だったようで(ただのアルバイトかもしれないが)iPadの中では豚が殺される瞬間の映像が流れていた。彼らにとってはこれが真実だ、というような主義主張なのだろうし、我々が食べる肉がそのような殺され方をしてできているということは理解できるが、はっきり言って胸くそ悪かった。自分が選択的に見たものが不愉快だったら仕方ないと思えるが、公共空間で唐突に見たくないものを見せつけられるという不愉快さについては理解できる。

 

ところで、フェミニストと名乗る人々が露出していない巨乳の漫画イラストに憤慨する理由というのは、彼女たちが有象無象に経験した不愉快さを思い出しているのだろうということだ。ネットを見ていればわかるが、例えばテレビアナウンサーが露出していない普通の服を着ていて、それでも胸の大きさが目立つというようなキャプチャー写真に対して、「エッッッッッ!」(エロいのネットスラング)「んほぉ、このおっぱいたまんねえ」などとコメントされるのはtwitterでもどこでも見つけることができる。水着だとかそれらしい衣装でなくても、巨乳がそれだけで性的に見られるというのは厳然たる事実なのではないかと思う。

 

そんなわけで、宇崎ちゃんのポスターは露出してねえだろ!と言うのはわかるが、実はあれは「エッッッッ!」とコメントされることを期待されて、というか巨乳に惹かれて買う層を期待して書かれている絵だというのはあるのではなかろうか。残念ながら男の股間についたもう一つの脳みそは巨乳美人というだけで財布の紐を緩めるような仕組みになっている。おっさんの趣味を女子高生にやらせる漫画・アニメがヒットするのも、直接的なエロ漫画じゃなくても、その背景にイチモツで考える男性心理を利用していることは間違いないし、おっさんの趣味はおっさんにさせたほうが説得力があるのに、あえて未成熟な若い女性を使うというのは、若い女性が俺の趣味に合わせてくれたら、という深層願望を見透かしてマネーコンバートさせているし、僕らはそれでいいと思っている。

 

くだんの献血ポスターが性的ではない!と強弁する人もいるだろうが、生意気ウザカワ後輩に爆乳オプションをつけて、男性を釣り上げている作品であることは間違いないだろう。そしてその裏には男性の性的欲求部分を刺激するようにしているとは思うし、萌え漫画ってだいたいそうでしょう。補完的に作者非公認のエロ同人が山程出回って市場を形成するのが一種の証拠だろうと思う。俺はそうじゃねえ!という人もいるだろうが、半分以上そうでない。おっぱいは正義だ。ようするにあのポスターはやっぱり、男性に性的に欲求を掻き立てるというのを狙った作品の狙ったイラストだと思うし、それにかつての自分の性被害を重ねて不愉快になるというのは、まあなんとなくわからなくもない。

 

最初の例に戻る。映画のエイリアンを見た人が丸い流氷の集合をエイリアンの卵に見立てるというように、個人的な体験がイラストを通じて想起させるというのはありえそうなことだ。だったら規制しろというのか!というよりは、そもそも公共の場所における表現というものをどうするかというのをちゃんとレギュレーションしなければならないということのようにも思う。

 

僕は巨乳イラストは気にしないが、病気や怪我などのグロ画像を人間の神秘といって公共空間の宣伝に使われたらブチ切れると思う。グロ画像愛好家が、これは人間に起こりうることで真実なのだから規制するのは論理的でないと主張したとしても、ヒステリックになりそうな気はする。実際に恐怖を想起させる表現はなくなってきた。ACのCMでもなんだよこの怖いCMはというようなものも昔はあったものだが。

 

赤十字担当者は今頃後悔しているかもしれないが、公共の場所で安易に人気作品を採用するということは怖いCMがなくなったように気遣われていくだろうし、萌え漫画愛好家にとっても別にそれだからといって表現することそのものが規制されることはないだろうから良いのではないだろうか。フェミニストが叩かれているのは、結局のところ気持ちが悪いという感じ方を倫理観や法律や海外を持ち出して正当化させようとする欺瞞的な態度なのだろう。グロ画像が公共の場所で使われなくなったように、気持ち悪いからやめろ、というのは悪いことではないのだ。巨乳を自主規制するというのも実はすでに行われていて、子供番組の歌のお姉さんはグラビア体型の巨乳は採用されないし、下着の宣伝も貧乳スレンダーが多いし、ハリウッド映画の主人公はスレンダー体型が多い。巨乳AVやポルノが溢れていて、巨乳=性的みたいな図式は間違いなくある。どれだけ否定してもそういうふうに見られている現実は変えようがない。そして性的にフォーカスされたくないシーンでの巨乳自主規制というのは行われているし、公共の場ではどんどんなくなっていくのではないだろうか。

 

巨乳遺伝子に生まれた人への差別だ!という人がいるかもしれない。そう主張する男がいるとすれば偽善者だろうな、と思う。僕らはブサイクだという理由で仮面ライダーの主人公に採用されないわけだし、漫画には理由なく巨乳美人を登場させるが、理由なくブサイクは登場しないのだ。つまり見た目の魅力や造形を見た時の客の感じ方を想定して、客層に向けた採用・不採用はすでにあるわけで、巨乳が不愉快だと思う人がいるので採用されない世の中というのは、ブサイクな男が恋愛映画の主人公でないということと何も違いはしないだろう。

 

なので全年齢向けの場所で、巨乳が規制されるというのは何も不思議ではない。小汚い小太りおじさんがポスターに採用されないのと同じ理由である。それは自明だから誰も気にしないし、まかり間違っても採用されないため論争にならないのである。巨乳が目立つポスターは実は不愉快に思われているというのが、今まさに知られて始めているということで、これは文明の過渡期ということなのだろう。不潔なおじさんやグロ画像が不愉快であるため自主規制されるように、巨乳が強調されたポスターは不愉快であるため規制される、ということである。

 

それに対して自分の好みと合致するから、差別や露出具合を持ち出して正当化しようとするのもどうかなあと思う。公共の場合はより魅力的よりも、不愉快と思う人が少ないという事実が優先されるべきだとは思う。そのロジックのおかげで僕らはキッタナイおっさんやグロい死体や薄気味悪いだけの昆虫画像を公共の場で見ないですんでいる。

 

そのジャンルの一つに巨乳な女性というのが加えられつつあるようだ、ということが事実なのだろう。