フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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ネット地獄が才能を駆逐する

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チャレンジャーを積極的に笑う人がいる。「フリーターっす、ビッグになります」みたいなものから、「専門家10人集めてアメリカでサービス作ります」みたいなものまで色々な水準があるが、とにかく何かをしようとする人はだいたい心無い発言をなされる。

 

だいたいiPhoneのせいなんだが、昔はチャレンジをするときは能力と意思を持った人が理解者をface to faceで集めるしかなかったのだが、今はSNSで手軽に発信できる。そんなわけで、発信者の立場や能力とかコネとか資金とかは無関係に、ただその発言の上手さだけで評価されるところがある。どれだけバックグラウンドがあったとしても、ろくでもない発言やぶっきらぼうな態度、チャレンジ内容とは無関係な物事への発言なのであっという間に炎上することがある。

 

以前から思ってきたことだがネット社会になったところ、今までより一層特殊能力を持った人が重宝されると同時に、いかにしてSNSデトックスできるかが問われ始めている。立場や資産に関わらず、余計な発言はせず、余計な絡みをせず、粗暴な態度はやめ人道的な立場を支持し、自分の専門分野にフォーカスするといったような。

 

一方で専門性を何ら持たずとも、過激な物言いで憎悪を煽り立てたり攻撃的になることで注目を集める人たちもでてきた。「何にもない人」たちがただ実績を持った人や、常識だとかを煽り立てるだけでアルファ気取りになれるあたりこの世は地獄だ。

 

オバマ前大統領、ネット上の過激な批判カルチャーを非難「世の中は変わらない」(Rolling Stone Japan) - Yahoo!ニュース

 

かつて言論は特別だった。新聞記者になったり本でも作らないと意見発信は難しかった。ハードルが高かったのだ。今や何かを発信するたびに、数万の似たような批判にさらされることを覚悟せねばならない。意見発信のハードルは下がったが、バックラッシュを受ける確率も大幅に上がった。

 

このエントリだってハードルが下がった世界だからこそ上げられる。同じことを誰でもできる。文章を書くというのはある種の技術ではあるが、どれだけ無教養でも書けるようになったし、どれだけ教養があっても150文字ではわからないだろう。ようするにみんな同じ土俵にいるわけだが、長文を書く読むに耐えない人たちが主流派なので、以下にしてシンプルに叩くかというカルチャーになっている。今のバカみたいなネット文化というのは上質な長文を排除して、コピペの氾濫を招いているように思う。

 

僕は上質な長文を書く人が好きだが、大量のバックラッシュの中からそういう個人を探すのは難しいものだ。「良い」ものはすべて埋もれていった。ゴミ溜めの山の上で暮らしているようなネットから切断したいのに、離れられないでいるのが辛い。