フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

PR

冷笑と諦念のあいだ

PR

ネットを支配する「シニシズム」「冷笑主義」という魔物の正体(津田 正太郎) | 現代ビジネス | 講談社(1/8)

冷笑(レイショウ)とは - コトバンク

 

冷笑とはあざ笑うことらしいので、冷笑主義とは何につけてもあざ笑ってやろうとする人々なのだろう。世の中あざ笑う人が増えたのだろうか?かもしれねえな。ネットは失敗者たちが無尽蔵に供給される。いかにも口先だけっぽいどうしようもない連中の詩人のようなツイートも流れてくる。あざ笑いたくもなる奴らばかりだってか。どうしても黙ってられない。どうしてもちょっと説教じみた愚かな発言をしたくなる。失敗も挑戦もしない自分をちょこっと上に置きたくなる。バカじゃねえか。何も変わらない。冷笑コメントをしたって、自分の暮らし向きがよくなることもない。知識が増えることもない。ただ言われないだけで、我々の人生のほとんどはあざ笑われるぐらいの程度のものしかありゃあしませんぜ。なのに誰かを嘲笑したくなるなんて、まったくもって悲しい人生じゃありませんか。

 

それっていいことですかねえ!誰かを批判する時、同じ熱量を持って別の希望を提示して欲しいと思いませんかねえ!馬鹿な奴らを笑う、ってのは自分がそれ以上の熱意を持ってて初めてできることじゃあ、ありませんかねえ!我々、村民はそんなチンケな態度で世の中暮らしていく、それって悲劇じゃありゃあしませんかねえ!

 

ぽっかり心に穴があいております。だって情熱が、ないんですもの。歳をとると情熱がなくなっていく。空虚な現実とルーティーンな毎日の中で、花を愛でる心もなくしていく。できることといえば、愚か者のキリキリ舞を冷笑してみることぐらい。ああ、桜の会に呼ばれて、寿司食って、談合社会のおこぼれに預かりてえ。それの方がドブさらいをするより勝ち組なんですって。

 

冷笑はやめよう。だって無意味さ。心が乾いていく。どれだけあざ笑ったって世界が変わることも、光に満ちることもねえんでさ。本当は誰の行動も気にすることなく、打ち込める何かがあれば、本当に素晴らしい。誰かを、あるいは何かをあざ笑うこともなくなるのです。

 

もし年がら年中、冷笑ツイートをし続けている人がいれば、その人は空っぽな暇人ということになりましょう。だってそうでしょう?情熱家は他人を腐す暇なんてありゃあしねえんですから!

 

このエントリは冷笑では断じてない!