フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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日本の地獄はお前らが作った

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いつもは「余裕のある社会!」「多様性ある社会!」「誰もが疲弊しない社会!」とのたまう人たちが冷てえじゃねえか。

 

もしも誰もが気軽にエレベーターでも話しかけられる社会だったら、というのは割と良い理想のように思う。こんな些細な主張にも「オレは急いでいる」「なんで気を使わなければならんのか」「じゃあお前がやれ」「めんどくせえ!」と恐ろしいブコメ軍だ。

 

尋ねたいのだが、エレベーターで一言かけやすい社会と無言で行動を要求し律する社会はどちらが健全かね?

あるいは、コミュニケーションをとらずに行動を期待したり期待されたりする社会は(つまり現実の日本は!)どうかね?

自分と全く違うペルソナの人間が隣人にいる環境と、エレベーターで一言かけるコストはどちらが高いかね?

 

エレベーターで一言声かけてもいいんじゃない?という意見に新聞社の名前をけなしたりやお前はXXなのか、と疑いを差し向けるようなコメントをする人が、さらにコストの高い社会の多様性を守れるとでも思うかね。

 

誰もが無言で、行動をし続ける社会は異様だ。自分が嫌だと思っても話せない。

 

お前らはこういう

「黙っている権利がある」「行動したくない自由がある」

 

そうだ。そうやって黙って、自分の要求を言外の圧力で押し通してきたのだろうし、押し通されてきたのだろう。それはまさに日本社会に蔓延する同調圧力と我慢の文化そのものだ。少しでも異を唱えればよってたかって「感じ悪いよね」攻撃をするんだ。虫唾が走る。

 

エレベーターで喋りかけてくる人はキモい、とか。急いでいるのに話しかけてくるな、とか。お前らの急いでいる理由なんて、所詮、大資本の家畜として働かされていること以外にあるのかよ。家畜になるために、人間の言葉さえも遮るのかよ。

 

精神疾患がブツブツ喋り続ける姿を、同性愛者がする自分と違う基準の性欲の発露を、日本の裏側から来た人々が異なる宗教文化を主張しだす権利を。そんなものに比べれば、日本人同士のコミュニケーションなんぞ、コストというほどではなかろう。しかしそんな些細なコストでさえ許せない、気に入らない。

 

たったそれだけの違いを、百文字で切って捨てるのだ。どんなことがあろうと、自分は負担してやらんぞ、という圧倒的な姿勢。

 

そもそも沈黙とは他人への負担の転嫁のように思う。

 

女性の権利に声を上げた女性のおかげで、週休二日制はそのために戦った労働者が、声を持つ人がもたらした恩恵を受けながら、君等は沈黙を決め込むのだ。

 

だってーうぜえもん

言わんでもわかれよ

 

戦前かよ。違うことしたら村八分する隣組かよ。

最大限にサビ残させるブラック企業の経営者と何ら違わぬ精神。

このクソ国家に対してこの国民あり。

 

エレベーターでおしゃべりしていたので仕事に遅れたましたと言える社会の方がよほどまともではないか。

 

この沈黙せよ、我の手を煩わせるな、という国民性こそが、空気を読んで帰宅しない社畜、コピペのようなリクルート姿、責任を曖昧にする政治家まで生んでいると言える。

 

沈黙して相手に圧力をかければ、自分の責任は問われずに、相手が勝手にしたって言えるもんな。言葉にすれば責任を問われるが、無言で相手を制御すれば勝ちの日本社会だもんな。沈黙至上主義者共は社会のフリーライダーだってことに気づけよ。お前らこそが、ブラック企業サビ残、派遣ピンハネ、大型台風の原因だ。

How dare you!?

 

 

僕はちゃんと偉いさんにもエレベーターで声をかけるぞ

 

「ちっす、首相!桜の会マジ最高っした!野党の言うことなんて聞かなくていっすよ。嫉妬厨の国民なんてそのうち何も言わなくなるんすからww」

 

これよ。これが大事。