フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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無限ボーナスと王様の耳

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今仕事でとんでもないおあつらえ向きのことになっている。一般的に年末、正月とお金を使うことが多くなって、2月あたりはみんな素寒貧で、外に出ない。そうして書店の売上が減るから2月に芥川賞が選ばれるようになりました、みたいなエピソードがあるくらいにはお金がなくなるらしい。

 

さて12月に入り、とても忙しい無理難題であろうプロジェクトに参画しているのだが、クライアントが僕が往復する2時間以上もの通勤時間さえ仕事に当ててほしいとばかりに、自宅作業を許可したのだ。そしてその上で、休日も仕事していいよ(仕事してほしいという意味)と言われ、僕は通勤もせずに勤怠報告だけすればその間お金が入るという状態になっている。

 

最高だ。このSESという商売は、大抵の場合、オフィス内で勤怠が管理される。僕はクライアントのところにいってタイムカードを押し、そして帰るときにもう一度押し、その間は働いていたことになる。僕は仕事に集中していられる人間じゃないので、ある程度働いたら、ブログに書く内容をEvernoteに書いたりして、要するにサボっている。とはいえ、オフィス内にはいないといけない。何をもって働いているとするか、みたいな話になるとややこしいので、世の中は時間というもので図っている。客商売でも、どれだけ客がいない日でもアルバイトには時給を支払わねばならぬ。いわゆる拘束そのものに金を払っている。もっと言えば仕事がどれだけ忙しくても決められた単価は変わらない。

 

今のクライアントはプロジェクトマネジメントはパッとしないのに金はあるらしく、とにかく金は払うから働いてくれと言うではないか。勤怠はweb上でボタンをクリックするだけ。一応今から働きますよとslackで言うが。となるとどうなるだろう?僕はまず朝起きてwebで勤怠ボタンをクリックして朝礼まで2度寝する。朝礼をリモートで終わらせると昼まで寝る。昼食を済ませると、適当にブラウジングして、頃合いを見て仕事を始め、夜遅くまでダラダラやる。朝から夜まで働いているように見えるが、実質労働時間に対して1.5倍ほどの請求をするのだ。

 

土日も正月も暇だったらやっていただいていいですよ、などとクライアントから言われる。もちろん請求はしてくれていい、と。遠慮などしない。僕は頭の片隅に仕事があるという理由をつけて、家の掃除をしたり、ミナミの喫茶店で本を読んだりする。忙しくしているPMは割り当てた機能の完成だけが興味のある対象だ。それ以外何も言ってこない。だから僕は好きに寝て、好きに起きて、好きに出ていく。その間のすべては請求書に労働対価の時間として計上するのだ。その結果僕の計算では、定時で終わらせた場合と比べて1.5倍ほどの請求が合法的に行われる。クライアントはそもそも金余りらしく、請求にまったくシビアではない。それどころか労働時間が少ないと働いていないと言いかねない雰囲気だ。定時で仕事を終われる雰囲気ではない。定時で上がると仕事が完了していても文句を言う企業はしばしばいる。

 

だから僕はまるで真面目なブラック企業の労働者のように正月休みも「働く」だろう。その労働は正月の漫才番組を見ているということかもしれないが。長らくフリーランスをしていると、クライアントは完成したプログラムのクオリティさえみていないということがわかる。納品先の顧客が満足するかどうか、あるいは中間報告のときに、納品先からクレームがこないかどうかだけが労働価値の判定なのだ。そのため、熱意を持って作業しても、無能者として叩かれるときもある。手を抜いても何も言われないときもある。ただ金のない中小企業は労働時間にもクオリティにもうるさい傾向はあるだろう。

 

来年の2月3月、誰もが素寒貧で質素な暮らしをせざるを得ない時、僕は平時よりもはるかに高い売上が口座に振り込まれる。あるいは、このプロジェクトが2ヶ月で終わるわけがなさそうなので、彼らが僕の作ったものに及第点を出すのであれば今後も関係が続くだろう。人手不足の時に、新しく人を雇うというのはギャンブルに近い。極端な文句がなければプロジェクトの終わりまで人は変えないものだ。

 

この世の中で企業が人を搾取するケースは枚挙にいとまがない。だからこそ僕は自分が生きていく中で、企業から金を時価でふんだくる、余計な関係を持たず、責任も持たず、ただ支払いを求めて働いている。久々に搾り取りがいのある企業に出会えて感激している。

 

これはクライアントの要望と怠慢が合わさった結果であり、さらに言えば契約ではなく満足こそがこの業界の労働対価という価値観ゆえである。彼らを満足させている間、働かないで金を請求する権利を得ている、というだけにすぎない。そしてそれを判断して断罪するのはクライアントだけの権利だ。

 

この記事はなんだ?罪人が教会の懺悔室に訪れるように、王様の耳が何かを知った男が穴に向かって叫ぶように、ブログに書かざるをえない。そうでなければこの僥倖が罪であるかのように心にのしかかるじゃないか!

 

そうしてこの事は僕とこのブログの誠実な読者しか永遠に知ることはないのである。