フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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2010年代の神話の終わりと2020年代の格差拡大

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年の瀬は毎年やってくるが、2019年の終わりが特別なのはそれは10年間の終わりであり、XX年代と括られる一つの時代が終わるという点で特別だ。ついに10年代が終わるのだ。世間的には激動の時代というか、天変地異の10年と記録されるだろうし、世間もひっくり返った事が多い。

 

00年代の終りはリーマンショックの不況があり、日本は10年代に突入して数十年ぶりに、GDP2位の座を中国に明け渡した。日清戦争で中国を打ち破ってから日中間のパワーバランスは史上初めて逆転したのだろうが、その後115年を経て元の鞘に収まった。これは歴史の大転換だったということは間違いない。その当時のインターネットの雰囲気は僕も記憶していて、「日本はまだやれる」だとか「中国崩壊論」だとか「GDPの偽装」だとかが言われていたし、中韓に対する陰険な姿勢は根強かった。

 

2011年はもはや言うまでもない災難の年だった。原発神話が完全に崩壊し、民主党政権もこれで瓦解が決定づけられたと言えるし、鳩山首相の汚名返上にいたる道筋はなくなった。これだけの大打撃は誰が政権担当者でも良いイメージは残せない。阪神大震災とは違って、放射能という見えざる驚異にデマも含めて過剰反応を引き起こし、フクシマは解決不能の都市になってしまった。

 

これ以降、日本のテクノロジーに対する神話が潰えた。日本は素晴らしい科学立国であるという、傲慢な認識は10年間で徐々に消えた。中国製品は安かろう悪かろうという考えも、10年代初頭の日本製の粗悪スマホへの失望や、ハイアールの白物家電の台頭とシャープの中国化、ファーウェイの安かろう良かろうなスマホ、5Gでのアメリカを超える特許数などを鑑みても、日本の科学立国はすでに過去の遺物であることが、誰の目にも明らかとなった。

 

10年代初頭ではアベノミクスが始まった。僕が強烈に覚えているのは2012-2014年頃の経済誌が軒並み金融政策や三本の矢を大絶賛をしていた点だ。ちっとも理解できなかったが、民主党政権は地獄、これで日本は救われるという空気感が10年代中盤まではあった。実際にモリカケ問題などの追求では、野党が足を引っ張っているという人も大勢いた。今となってはそれこそが国家と国民の病理そのものだったのだろう。

 

日本は真面目。日本人は正直。そういう神話もついに10年代最後の2年で消え失せた。安倍政権も官僚も大量の隠蔽と国家の私物化を行っていて、それはモリカケ問題だけでなく、カジノ、桜の会、オリンピックなどありとあらゆる点で露呈した。明らかな違法行為も検察は動かない。しみったれた末端政治家を数名逮捕するのが関の山。もちろん、それは今の権力者を長きに渡って支持してきた国民が原因であることは言うまでもないだろう。

 

少子化は誰の目にも解決不能だという統計までもが出た。氷河期世代は精神も肉体も若くなくなり、数だけは多いからこそ今後は福祉の重荷になる景色が見え始めてきたのだ。官僚の統計予測は完璧だったが、何の対処もできなかったという非情な現実がある。この国家はすべての問題に対して解決をするための人材、システム、意思がない。その一つ一つを自分たちで証明した10年だった。

 

ネットの空気感はついに変わった。トータルで言えば差別的な書き込みが減っていると思う。代わって日本人への失望と自虐、中韓への悪口より中世ジャップランドという自傷が明らかに増えた。日本バンザイの右翼はその精神的支柱を失い、差別的なまとめサイトは摘発されつつある。00年代から10年代中盤までの15年における日本至上主義と差別のハイブリッド思想は流行遅れになっている。一方で左翼的なグローバリズムはニッチな思想となり、支持者多数というわけではない。日本を誇りに思おうにも、どれもこれもバカバカしく見える。四季がある、水道水が飲める、というのもかつて本当に日本の自慢のように語られてきたのだが、今となっては悪いニュースが出るたび「でも日本には四季があるから」と小馬鹿にしたネットスラングになった。科学力もほとんどが中国の後塵を拝しているので、どうにもこうにも自慢できるということがない。というか少子高齢の影響でご自慢の水道水も飲めなくなる地域が出てくるかもしれないのだ。インフラの維持が不能になりつつあるからだ。おまけに異常気象のおかげで、秋と冬が短くなって、四季がある!と言えるかも微妙だ。

 

安倍政権の長期化は、日本の政策ではなくアメリカの景気が最高に良かったという時期と連動していたのだろう。日本にできることはもうない、という学習性無力感が列島を覆っている。

 

20年代は地獄の蓋があく。「東京五輪は日本の葬式」というネットの噂通りになりそうだ。氷河期世代の支援がニュースを賑わすが、数が多く老齢に差し掛かり、彼らの親世代がこの世からいなくなると、団塊世代の年金で支えられてた隠れ貧民が世間に放たれる。いよいよ、彼らどうすんの?という話になるが、あいにく米中貿易戦争の影響で20年と21年は不況がくる空気が濃厚らしい。

 

史上最高レベルの台風が毎年来るのではないか、と予想されていて、未だに千葉南部ではビニールシートで屋根を覆ってこの寒さをしのぎ、給食センターが壊れたので児童の給食は貧相になったとワイドショーでも言われている。不動産価格の上昇が取り柄の東京も、タワマンの脆弱性が露呈して、価格が徐々に下落しているそうな。小金持ちで東京至上主義の情弱を騙せたのも、台風が来る秋までで、金を持ってもタワマンは待つべきでないという新常態にある。

 

結局の所、国民が事なかれ主義と権威主義のハイブリッドをこじらせた結果、保守的な政権の長期化と、根本的な対処をしない昔ながらの不正政治家をのさばらせて、国家総スタックしたのだった。日本で長く機能したシステムはGHQが作った憲法のみで、実のところ戦後のすべてはアメリカのお膳立てによる豊かさだったんだなあ。少なくとも政治の根本システムは日本人がどうこうできる資質を持ち合わせていない。

 

日本が誇る治安の良さ、というやつも格差が今まで以上に明白になって、さらに加速する20年代において、どれだけ機能するんだろうか。経済は日本が例外、と言われるのは戦後から冷戦期にかけて積み上げた資産があまりにも膨大だったため、成長不能となった90年代からの30年を延命できましたね、という無慈悲な結論なのだろう。

 

国民が悪いんですよ。

だってどれだけ権威主義でも、不正をしても、国家を衰退に導いても、根本的な解決をしようとさえしなくても、支持する人がいる。

 

今死ねる高齢者は幸せだ。

ここからの衰退はまさしく坂の上の雲からパラシュートなしのダイビングに等しい勢いなのだから。