フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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2020年1月10日 数学には位置づけ力が大事

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続きを読み終えた。

 

受験に強い学生は大まかなやり方を覚えておいて、細かいマニュアルは覚えない。全体的な流れをつかんだ後は、細部を自分で工夫して構想するうちに、自然と多くの問題が解けるようになっているものなのである。

 

推理力や構想力を軽く扱ったので、皆さんの中には怪訝そうな顔をしている人がいるかもしれない。普通にはこれらの能力こそ数学と密接な関連を持つ能力だと考えられているからだ。私はこれら二つの能力が必要な能力だとは思うが、身につけることが大変な能力だとは思わないし、これらの能力に特別に秀でていなければ数学ができるようにならないとも思わない。だから、これら二つの力については通り一遍の扱いしかしなかったのだ。だが、これから述べる「位置づけ能力」は、こうした軽い扱いはできない。

 

彼のアタマの中には雑多な数学的知識はたくさん溜め込まれるが、数学世界はないのだ。したがって、未知の事柄を理解しようとしたときに手がかりになるべき世界が何もない。だから、ある未知の事項を理解したくっても、「説明されればなんとかわかるような気がするが、ピンとこない」ことになってしまう。

 

位置づけ力とは、勉強している数学の公式や内容が、一体何の役に立つか、別の公式につながっているか、連鎖するかみたいなのを理解する力のことのようだ。本書に書かれている例をまとめてみよう。

 

例えば公理の意味を検索してみる。

公理(こうり、英: axiom)は、その他の命題を導きだすための前提として導入される最も基本的な仮定のことである。 一つの形式体系における議論の前提として置かれる一連の公理の集まりを公理系 (axiomatic system) という 。 公理を前提として演繹手続きによって導きだされる命題は定理とよばれる。

書いている内容はわかるが、ピンとこない。そのため例えてみる。

子供が母親に尋ねる

「意味ってなに?」

「言葉の内容のことだよ」

「言葉ってなに」

「いましゃべっていることだよ」

「しゃべるってなに?」

 

こういう風に問い続けられた時に、これ以上は説明できないというレベルに達する。こういうことを数学で言うと「公理」という。証明が必要ではない自明の論理。説明不要の理論ということ。公理をweb検索してもピンとこないが、こうして例えると公理という言葉の意味がしっかり理解できたのではないか。

 

とまあ、こういう理解に至るまでの流れを位置付け力として本書で紹介されていた。数学の公式だけを勉強しても「なんでそんな物があるのか」という点を理解している人としていない人ではその後の勉強に差がつく、と筆者は言う。沢山の人が「公理」という言葉をweb検索して内容を丸暗記しているような勉強をしているのだろう。そうではなく、もっと噛み砕いてどういうことなんだろう、と考える。

 

一つの公式をとっても、それはそういうものだ、で済ませ続けると難しい局面でわからなくなる。そのため、その公式の存在や数学の意味にメタ情報をつけて、ピンと来る状態を作らねばならないのだ。これは膝を打つ内容だ。そんなわけで筆者は、その数学がなぜあるのか、というのを自分なりに整理して世界を作っていくことが重要だという。

 

僕も本を読んで参考になった。自分が思っていたことと一致する。なぜこの公式があるのか、というのを興味を持ってイメージすれば、勉強の意味とモチベーションがでてくる。すでにブログで何度も書いているが、コンピューターサイエンスのために数学を勉強し直すわけで、それに連なる数学を勉強したいと思っている。これはコンピューターサイエンスに関係する数学を模索するという意味で世界構築としてもいいだろう。

 

そういう考え方は間違っていなかったんじゃないか、と思った。