フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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リストラは個人の責任ではない

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45歳リストラ、希望退職はなぜ生じたのかを考える - orangeitems’s diary

働かない「妖精さん」どう思う 様々な世代から届いた声:朝日新聞デジタル

パナソニック、半導体撤退へ 台湾企業に売却 :日本経済新聞

「黒字リストラ」拡大、19年9100人 デジタル化に先手 :日本経済新聞

 

リストラ加速で様々な考察が流れる。僕はそれを腐したいわけではない。ただ考察はかなり個人の能力にフォーカスしすぎているように思う。リストラはもっとドライだと思うのだ。

 

Q.なぜリストラするか。

A.金がないからだ、あるいは稼げなくなることが濃厚だからだ。以上。

 

どんなビジネスにも時代の変遷があって、手織りの服を作っていた人は、自動織り機の登場で仕事を失ったし、馬車は車に取って代わられた。ここに個人の能力責任はないように思う。今まではその仕事に需要があったわけだし、企業も求めていた。

 

日本の大企業群がリストラや追い出し部屋やら早期退職に精を出しているが、ここに個人の責任はない。ただ単に稼げないから給料払えないだけに過ぎない。論評する人々はともすると社内の無能力者に注力するが、無能者がクビを切られているとは限らず、さらに言えば残った人々が有能だとも限らないのだ。

 

例えば、NEC富士通、シャープ、東芝などリストラをしているが、無能者や窓際族を追いやったからといって未来が明るくなったかというと全然そんなことはない。

東芝はリーマン前の株価の3分の1になっていて、ここ数年の上昇幅は小さい。

NECは2000年ごろから5分の1程度、富士通は4分の1程度になっている。

鴻海に買われたシャープはさらにひどく、10分の1である。

 

ここ数年で何度も首切りを行っているのに、有能者が残ったはずの企業は業績も株価も無能者を切る前の時期を超える例がない。コストカッター、ゴーンを追い出したNISSANもリーマン前の2分の1の株価で下げ基調である。何が問題かと言うと、日銀が異次元の緩和で株購入しているにも関わらず、リーマン直後より少し良くなった程度であり、バブル時代はおろか2000年代前半の株価からさえも程遠いのだ。

 

個人が無能だろうと何だろうと、稼げる分野で仕事をしている企業は順調であり、稼ぎ柱の事業が不調になればリストラが始まる。これは集団戦での崩壊であって、個人レベルの問題にはならない、と言える証拠だろうと思う。

 

NEC富士通がどれだけ量子コンピューターの成功をアピールしても、GAFAの投資力の前には早晩崩壊するだろうし、スパコン事業でさえ日本勢はすでに米中研究機関の前に為す術もないのだ。これは投資力、ハイレベル人材を集める人事力、事業見通し、全てにおいて劣勢の日本企業の問題であって、あなた個人が窓際族かどうかは問題にならない。

 

調子がいいときは窓際族でさえ細々と生きていけるし、彼らを切らざるを得なくなった場合、投資する金も減っていることを意味しているとも言える。リストラ組は炭鉱のカナリアであって、カナリアがいなくなっても、その鉱山で汚染が起こっている事実は変えようがない。

 

そのため生き残るための政治力を身に着けましょうだとか、個人レベルで学習をしましょうとかいうアドバイスは、大企業群の未来を変えることはないだろう。あるいは個人そのものさえも救わないかもしれない。冒頭で上げたように、手織り綿製品の製造から、半機械化されたぐらいの時代の変遷が今起こっており、それを個人で転換するには並大抵の努力ではない。

 

今起こっているのは、ありとあらゆる機能のソフトウェア化であって、その分野の専門スキルを45歳から一線級まで引き上げるのは生半可ではいかない。おまけに、日本のIT業界は高齢ルーキーを軽視して足元を見るクセもあるし(若ければ学位を問わないというガラパゴスメリットもある)引退目前の高齢者が勉強し直せと言っているのはクソほどの価値もない意見である。30代の僕も限界突破がシビアになりつつあり、憂鬱で地道な勉強の日々を過ごしているのに、45歳で子供もローンもあるとなると、なんとかしなさいという努力主義や自己責任論は馬鹿げている。

 

だからといって時代変遷は大企業単位での地殻変動であり、リストラがなくなることもない。ただリストラが個人努力の不足によるものとは到底言えないことは間違いないのではなかろうか。