フロイドの狂気日記

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夫婦別姓が実現したら結婚制度は完全に無意味になるだろう

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私は選択的夫婦別姓には賛成派 - 斗比主閲子の姑日記

夫婦別姓に「それなら結婚しなくていい」 国会でヤジ :朝日新聞デジタル

 

ここ四半世紀の婚姻制度の進歩とは、男性利権の骨抜き化という一言に尽きる。簡単に言えば、男性にとっての結婚は無意味になったといえるだろう。

 

財産分与の法律は整備され、夫が作った財産という概念はなくなり、夫婦が作り上げた資産という考えがデフォルトになった。男の浮気は仕方ない、女の浮気は不貞という考えもなくなり、浮気はモラルハザードであり民事で罰金がつく。今は離婚後の養育費は国の建て替え制度が作られつつあり、そのため国は確実に差し押さえを実行するようになるだろう。DNAがつながっていない子供でも、法的に父親の子であるという判決も出た。そして今や家制度の象徴とも言える夫婦別姓がなくなるだろうという所まで来ている。

 

女性の立場からすればこれは本来当然であるべき状態であり、今までがおかしかったということなんだろうと思う。密結合だった婚姻システムは、解体されフレックスなものになっていっている。だが男性にとっての結婚制度は何の意味もない、ただのリスク要因となった上、昭和で通用した社会身分は完全に消えつつある。夫婦別姓が実現したら、いやしていない今でもそうなんだけど、僕は結婚する気がなくなった。しそうな時期もあったんだけど、今思えばしなくて良かったんじゃないだろうか。

 

内助の功などという概念は歴史となり、女性も男性も働き育児をすることにより、男性が無条件で大黒柱などと名乗れる特権が消えた。

・どれだけ働いて貯蓄に励んでも離婚すれば半分。その頃にはお互いに愛はない。

・女性が男性を養う社会というものはついに実現せず、女性は男性の仕事上の役割を安く奪うことになった。

アメリカなどでは基本となるDNA鑑定は、日本の女性の大部分が反対であり、婚姻関係がある間の子供は、DNAを問わず自分の子供という扱いになり、養育義務を背負う。

・名字で男性側の家庭の所属者であると、法的にも世間的にも証明できていたものが、夫婦別姓で境界はなくなる可能性が高い。

 

婚姻制度改革に前向きな人たちは、より良い社会になっている、と胸を張る。だが僕は家制度の儀式の延長の仕組みから、旧態依然の儀式部分を削除していって、システム化した場合、誰がそのシステムを望むのか、と考える。

 

IT業界では常識であるが、優れたバックグラウンド技術で支えられているから利用されるソフトウェアということにはならない。より魅力的だと思えるソフトウェアが利用されるのである。

 

昨今の婚姻制度はシステムとして、よりクリアで優れたものになっていっている。だが概ね利用者の半数である男性にとっては、より価値のないものとなっている。これは有料婚活会社で、参加男性が不足していることが根拠である。マッチングアプリなど、気軽に出会ってデートするだけの、婚姻とは程遠い仕組みは人気であるが、より婚姻関係に近づく仲人制度などは男性不足に悩んでいる。どちらも女性に出会えるが、男性は婚姻関係を望まなくなっている明白な根拠だろうと思う。

 

女性にとっては、ただの所有物だったような時代から考えれば随分と進歩したのだろうと思う。だが男性が結婚する意味ってありますか?

 

夫婦同姓は間違いなく、男性側にとって有象無象の体面を与えていたと思う。女性に縛りを与えることで、魅力がなくても結婚関係を存続させる強制力さえあった。僕の父などは、とっくの昔に離婚していてもおかしくない男性であるが、母が離婚する法的面倒を嫌って、別居のままでいる。様々な制度上の縛りが、父を既婚者としての立場を失わずにいさせた。そして長い間、父は自分の家に妻を引き込めた一人前の男の一人だったのだ。

 

夫婦別姓が実現できれば、よりシームレスに離婚できるようになる。これはおおよそ給料が安いままの女性にとって有意義であるが、いかなる立場の男性にとっても有利とはならない。給料の高く資産のある男性は、資産を失うきっかけとなり、貧困な男性にとっては見捨てられやすくなるというだけである。

 

男女同権、平等が進んだ現代においても女性の給料が少ないままであるので、結婚相手をすげ替えるメリットは常にある。今が良くても、ダメになれば捨てられるというのは強力なカードであり、よりパートナーホッピングしやすいものになるだろう。落ちぶれたら捨てて、いいときはスポイルするという行為が成り立ちやすい。

 

資産形成できる男性にとっては、度重なる結婚は資産損失の機会になるので意味はなく、貧困な男性は何度も結婚できないだろう。特に子供の養育費の強制徴収が成立すれば、貧困男性は一度の結婚でその後はない、ということもあり得る。社会からの要請としても、養育費さえ払えないような男性は子供を作るな、というものでもある。それは現実になるだろう。

 

旧姓という概念がなくなれば、結婚そのものを隠せるし、離婚時に周囲にバレることはなくなる。結婚しながら、次の相手を探すのもいいだろう。名字変更によるゴタゴタがなくなるということは、離婚と再婚に対する強烈なプレッシャーはなくなることで、より不適格な男性は婚姻関係を維持できなくなるだろう。

 

女性たちは、夫婦別姓をより良い修正だと歓迎していることはわかるし、実現すれば彼女たちが得るものは大きい。ただし、すでに結婚を望まない男性が増えている現状はさらに加速するだろう。夫婦同姓という、ある種の儀式がなくなれば、社会的には独身者と変わりはしない。女性が家に入っているかどうかはわからないものだ。夫婦別姓なら恋人か妻かは世間的にはわからない。

 

とは言え夫婦別姓によるデメリットはない。男性が誇ることのできた、家への囲い込みがなくなるということだ。それ以上に婚姻関係は男性にとってデメリットになり続けてきた。養育義務と資産減少を受け入れるぐらいなら、バレたときの賠償金を見込んで浮気相手になったり、風俗での数時間に金を使ったほうが、トータルでは安上がりですむ。老けていくパートナーや、あるいはそういった有象無象の面倒くささを回避できる。どうせ金が稼げず家庭でも社会でもバカにされるなら一人でいいし、金があるなら一時の相手に困ることもない。婚姻関係のメリットは男女で非対称だ。

 

愛があり、コミュニケーション健全な選ばれれし一部のパートナー達にとってはメリットの有る進歩だが、大半の男性はシステムそのものを選択しなくなる、というのは間違いない。夫婦別姓だけではないが、すでに結婚制度は部分最適化が進んでいると言える。そのため色恋に狂って冷静でいられない男性を除けば、ほとんどメリットのない制度ともなった。離婚へのハードルが下がった結果、どれだけ望んでも結婚したがる相手がいない、というのが昨今の結婚相談所の状態ではなかろうか。家制度の儀式、体面、世間体のすべてを剥ぎ取っても婚姻届を出す理由は惰性以外にはないだろう。

 

夫婦別姓に反対する理由はないと言えばない。

 

もはやかつての婚姻制度とは程遠いし、婚姻そのものが特権化しているとも言えるし、様々な趣味の選択肢の1つであることは間違いないので、積極的支援も賛成する必要性もないのだ。

 

持てる者たち特権階級の社会改革など、そもそも我々のような持たざるもの(金、コミュ力、バランス、相手、器用さ!)が議論参加する必要があるのだろうか?