フロイドの狂気日記

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「攻殻機動隊 SAC _2045」コロナ禍最中だからこそ理解できる作品

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公安9課が死んだ日 攻殻機動隊 SAC _2045|いわんこ|note

攻殻機動隊 SAC _2045への評価が厳しすぎるな、と思った。そもそもSACや2ndGIGが評価高すぎるので、続編を作るのは難しいだろう。それでもこの作品がちゃんとした人間観察を経て作られているのが随所でわかる。今回はテクノロジーがどれだけ進歩しても人間の愚かさは変わらない、という点にスポットライトを当てられているように思える。

 

例えば、シーズン序盤に街で包装された何かをボッタクリ価格で売っているおばさんがいて、何もない空間を手ではらうシーンが何度も出てくる。視聴者はそれが何を意味するかはわからない。その街で少佐たちがドンパチしたあと消息を絶ってしまう。少佐たちの居場所を探すトグサがその街にやってきて、ボッタクリおばさんの電脳情報を見る。

 

そのおばさんはどうやら借金をしてまで電脳化しており、おまけに電脳はノーセキュリティ状態。そのおかげでおばさんが見た少佐の映像をトグサが手に入れる、という筋書きだ。ここでおばさんの視界が見え、ひっきりなしに眼前に広告が出ていることが視聴者に理解できる。おばさんはスワイプしてそれを消していたのだ。ここでは、電脳化という超テクノロジーがあっても、情弱でちっとも使いこなせていない小市民が描かれている。ご都合主義だと思った人は考えてみてほしい。インターネットが世に出回ってはや数十年。スマホの普及から数えても10年以上。それでもブラウザが謎のツールまみれになっているおじさん、おばさんがいるのはご存知だろう。自分の親がTwitterの設定一つできなかったり、よくわからない回線プランや高価なSDを買わされたりしている人たちもたくさんいる。そのため電脳化を意味もわからず利用している小市民がいても納得だし、そのおかげでトグサが情報を仕入れられたというのも極めて自然だ。

 

Netflix「攻殻機動隊 SAC_2045」S1の感想 - 田舎で底辺暮らし

こちらの評価ではセクサロイドっぽいデザインを酷評しているが、僕なんかは近未来においても最も最初に実現されそうなのがこういうタイプのものだろうな、と思っている。初音ミクからVtuberのガワにいたるまで、こういったデザインが多いからだ。

 

チャーミングでエレガント、と少佐に話しかける総理大臣もありうるだろうなあと思った。2020年になっても議員が少女支援組織に視察にいってセクハラをかましてくる、という事件がついこないだもあったところだ。政治家がチャーミングと女性に言うぐらいですんでいるなら、むしろジェンダー観は予想以上にアップグレードされていると思った。

自民・馳浩氏の「性被害少女セクハラ」団体が抗議文 - 社会 : 日刊スポーツ

 

エピソード「初めての銀行強盗」における老人たちの年金など考え方は不自然なところもあるだろう。ただし25年後にスマホがなくなることはないと思えた。例えばノートパソコンなんかは登場から30年ほど経っているがなくなっていないし、電脳化に対する経済格差みたいなものが描かれている今作では、若い頃にスマホを使いこなしていただろう世代が老人になり2045年にもなって利用している、というのは有りだ。実際にFAXからハンコに至るまで2020年になくせていないのだ。スマホ使う老人は老害の象徴。情報格差の描写として秀逸ではないか。

 

今作はポストヒューマン(個人がスパコンを超える演算能力を手に入れた超人)というのがメインテーマだ。人間がポストヒューマン化する原因はわかっておらず、ポストヒューマン化してしまった人間を捕獲するのが新・公安9課へのミッションだ。3人ほど日本にいて、それらの属性はバラバラだ。愛国主義的プロボクサー、14歳の内気な学生、もうひとりは女性だがこちらの詳細は次シーズに持ち越された。

 

ポストヒューマンという属性をパッとしない人間たちにつけて物語を進めたのは良い。後々から出てきそうだが、最初に超人間的思想の人物をポストヒューマン化してしまうと陳腐さがでてくる。しかしいかにもどこにでもにいそうな人間をポストヒューマン化したらどうなるか、という思考実験は物語の導入として最適だ。テクノロジーが発展しても人間は賢くなるとは限らないという最近の情勢を反映させているようだ。

 

愛国主義のボクサーは己の拳で不正をする公務員などを見つけては殺害する。あまりにも動機が短絡的で、サスティナブル・ウォーというには小さい(タチコマも劇中で指摘している)。捕獲の際は、少佐がまだパーソナリティが残っていることにかけてボクシングで挑戦するというのも、ポストヒューマンになった平凡な人間への描写としてわかりやすい。この話の中で総理大臣の父が東京復興2050のプロジェクトで汚職をしたという疑惑がリークされ、にもかかわらず総理大臣がプロジェクトの責任者につく、というシーンがある。これは愛国的ボクサーの標的になるための作戦だが、このようなグロテスクな不正の開き直りは明らかに現実の反映で、馬鹿げていると一蹴できない。

 

14歳の少年は思いを寄せているであろう同級生をレイプした数学教師を殺してしまう。そのやり方もソフトウェアで多数の人間が殺してもいいと判断した人間を対象にするというやり方だ。超人的能力を個人的な動機とパーソナリティによって利用する、という平凡な人間の特徴を表している。そうしてその殺害シーンをウォッチするオタクなんかもでてくるが、まあそうだろうな、と思った。

 

ようするにテクノロジーは大幅にアップデートされたが、ジェンダー観、個人の発想限界、老人とのテクノロジー格差は今と大して変わりはしないよ、ということを表現しているように思える。

 

未来をテーマにしているんだから、現在との違いを見せろという人もいるが、この物語は逆で2010年代の流れに沿って、テクノロジーは人間の愚かさを明白にしてしまうということではないか。特に2020年の今は。まさに今100年ぶりの世界的疫病の最中に我々はいる。以前と比べてテクノロジーは著しく進歩した。映画では未曾有の危機に対して人類は一致団結するし、それなりにクレバーな行動を取るように描かれる。現実はどうか?

 

・人々は党派性をより強め、大統領自ら消毒液を注射してみては、などと非科学的なことを言う

・オートメーションは強化されたが、カビの生えたマスクが出荷される

・疫病が流行っている中で、コロナチャレンジと言いながら便器やドアノブを舐める人がでてくる

・市民への助成金サイトの本人確認がザルで支援金100億という単位で詐欺グループに支払ってしまう(ドイツの話)

・権威も教養もありそうな人が簡単に失言をしてしまう

・政府の監視強化に大して無報酬で加担する国民はいる。(自粛していない店舗に積極的に電話攻撃を行うなど)

・人々は簡単に己の信じる社会正義を振りかざして、一呼吸置くこともしないし、その正義はフェイクニュースによって補完されている。

 

テクノロジーがどれだけ進歩しても、うまく利用できる人とそうでない人がおり、人間の本質部分をアップデートするわけではない、という正しい現実を正面から描写しており、チャレンジングだと思う。あまりにもチープな俗物が多すぎて、フィクションを楽しみたい人から見ればイライラするのだろうが、コロナ禍が起こってから視聴したため、この攻殻はかなり優れた物語なのではないか、と一歩ひいた視点でみることができた。未来の人々はもっとクレバーだと思うのは幻想だ。

 

攻殻機動隊SACシリーズは理想化されたフィクションではなく、近未来のテクノロジーと社会情勢をありえるかもな、という範囲を見極めながら作られて、視聴者もその範囲を期待しているように見える。

 

細かい描写で不満はあるといえばある。遠景のCGはチープに見えた。ただの青空はwindowsXPの壁紙みたいだ。プリンがうざいキャラだなあというのは感じた。僕は攻殻キャラに固定観念を持たないから、主要キャラのいろいろな側面が見れて楽しめたが、米帝役人のジョン・スミスのキャラはSACの「密林航路にうってつけの日」に出てきたエージェント、サトウスズキやワタナベタナカほどの不気味さがない。パッとしないエージェントだ。パズやボーマの出番が少ないのも辛かった。

 

SACほどの名作とは言えないまでもシーズン2も楽しみにできる作品だと思う。