フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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過去の自分に会う、インターネット歴20年

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昨日の夜、眠りに落ちる前、とりとめもなく考えていたことだ。インターネットに初めて接した時のこと。僕は14歳だったと思う。母親はミーハーで当時30万はしたであろうwindows95富士通のPCがあった。そのブラウン管はもっと前の多分小学4年生ぐらいのころには買っていたと思うが、ネットに接続されていたのかどうかの記憶がない。内蔵されたアリーナというゲームやチェスで僕が遊ぶ専用機になっていた。多分コレ。34万もしたのか。起動するとタターン!ってなるやつ。今思えばすげえ文化資本だな。

FMV-DESKPOWERシリーズ - AzbyClub サポート : 富士通

 

14歳ごろには光通信網が始まっていたと思う。母親が得意げに光だぞ、みたいなことを言っていたような気もするし、今調べるとADSLが主流だったんではないかと思うし、曖昧だ。それに契約したらしく、家には機材があった。今でもそうだが、母親も父親もPCの設定ひとつできない人だ。その当時の記憶はおぼろげながらある。僕はマニュアルを見て線をつなげ、そして恐らくNTTだろうサポートに電話をして、ネット接続ができるまで電話した。サポートは若い男の人だったと思う。途中の会話までは覚えていないが、最後にネット接続について質問したと思う。覚えているのはサポートの回答の、gooやinfoseek、yahooのサイトにアクセスするといいですよ、というアドバイスと、そのサイトのURLを紙に書いたことだ。それははっきり覚えている。

 

昨日物思いにふけったのは、僕がインターネットをどんなものだと思っていたのかということだ。今ほど身近なものではなかったのは確かで、しかしながら僕は情熱を持ってネット接続まで持っていったのだ。その原動力はなんだったのか思い出せない。14歳だったことははっきりしている。というのは当時、真三國無双2の攻略サイトを見ていたのは間違いないからだ。大喬小喬のデフォルメされた絵がTOPにあったサイトで、発売して暫く経つと攻略情報がドンドンと増えていった。そしてゲームを一緒にする友人に自慢げに教えていた。発売日が2001年の9月。恐らくそれ以前からネット接続はできていたはずだ。

 

何故か僕はネットの使い方を知っていた。それがわからない。母も父もネットにも機械にもとても疎く教えてもらったことはない。まるでそれを最初から知っていたみたいにナチュラルに使っていた。なぜgooの検索ボックスに三國無双と入力したら、それらのサイトが出てくると知っていたのだろう。

 

しばらくしてこれまた富士通windows XPを買ったというのも覚えている。調べてみると FMV-DESKPOWER C24SD/M、多分これだと思う。デザインが似ている。当時の価格で25万もしたのかと。金持ちかよ。2003年の発売ということは16歳ごろ。

PCUPdate:FMV-DESKPOWER C24SD/M

 

僕がラグナロクオンラインにハマって、ROM776やOWNラグナロクという個人サイトで書き込みをしていたのも覚えている。というかROM776はまだ生きている。

 

776.netgamers.jp

このサイトの管理人は素晴らしい。この時代までサイトを変化に耐えるように作った上に、しかも過去ログを残していた。僕は記憶を頼りにハンドルネームで検索してみた。あった。あったのだ。僕が最初に書き込んだのは2004年の4月だった。間違いなく僕のハンドルネームである。僕は律儀にすべての英語を全角大文字にしていて、全て丁寧な言葉で書かれている。記憶というものは曖昧なもんだなあと思った。17歳だ。確かに僕が2chとROファンサイトなんかに入り浸っていた年齢と一致する。僕はこの頃の2chの大学受験版なんかを見てF欄大学をめちゃくちゃ見下すようになっていた嫌な17歳だった。その御蔭で人生は色々と変わった。大したレベルの大学に受からなかったため入学放棄して高卒だからね。ただそれはリーマンショックなどの兼ね合いでいい方に転がったと思う。

 

ROのファンサイトに書き込まれた17歳の僕は丁寧で初ういしく、そして煽りに対して煽り返していたりして微笑ましい。

 

今、書き込みの前で止めに入っている。「やめろ!そんな煽り方、恥ずかしいだろ!」

 

僕は今感慨深く思っているが、過去の自分の記録が残るってのはいいことなんだろうな、と思った。写真だけではない、その頃の自分が書いた何かが残るってこんなにいいことなんだと思った。

 

だからこのブログもいいことなんだろうなあと思う。いつか過去の自分に出会う日が約束されているようなもんなんだから。