フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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カタストロフィを望んでいた

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2月ぐらいから日本はすぐにでも武漢化するだろうなんて思っていた。イタリアがひどいことになると日本ももうすぐだろうと思っていた。ところが5月中旬の現在、日本はそこまでひどくない。

 

2月頃の僕はカタストロフィを確かに望んでいたと思う。僕が予想していたのは、まず急速な弱者の淘汰とそれにともなう財政バランスの再編である。たくさんの高齢者、不健康者が目に見えて死んでいくことで、財務省は言葉にはしないが財政のリバランスを計算できるようになり、そうして残された人たちのケアも多少色をつけることができると考え始め、財政出動もやぶさかでない、という態度をとるのではないかと思っていた。いや、誤解を恐れずいえば望んでいたのだろう。コロナによって直接死ぬだけではなく、それを恐れた病院が機能を停止し始め、やがて緊急の手術が必要な病気などにも影響があり、隠れた死者が大量にでてくるだろう。事実イタリアなどではそういった隠れ死者がコロナ死者の何倍かいるというニュースもあった。

 

さらにテレワークの推進とそれに伴う一極集中の緩和、満員電車の解消、土地建物の下落による持てる者の失墜。1-2年もするころには何も持たぬ者である自分に適応のチャンスが回ってくる。そんなご都合主義の妄想をしていた。実現しつつあることもある。テレワークは多少進んだし、その結果、都心部のバカ高いオフィスなんていらないんじゃないかと気づき始めた企業もあるようだ。土地建物は恐らく下落するし、30年ローンを組んで買った人たちが大不況によって音を上げ始めているというのも耳にする。満員電車はやはりマシになっているようだ。

 

こんなことを書くと、お前の両親や祖父母だって真っ先に死ぬかもしれないんだぞ、という人がいる。それに若者だって亡くなっているじゃないか、という人もいるだろう。祖母二人しか生きておらず、しかも超長寿であり、いつ死んでもおかしくない年齢である。コロナで死んだとしても、それは天命と言えるぐらいには長生きしているし、コロナだから特別悲しむ、ということもない。では父母はどうだろう。コロナで死んだら動揺して泣きじゃくる自分が想像できる。それでも僕は冷淡で、月日が経てばポジティブになると思う。僕もさらに年を取り、知人の父母が認知症になっただのと大変な経験をするようなリアルが迫ったとき、家族に迷惑をかけて憎悪が高まる前にキレイに逝けてよかったね、ぐらいのことは思いそうだ。今父母がいなくなるとは到底想像できないが、それでも十分に後悔のない関係性を築けているので、あとを引かないだろうな、なんて考える。

 

自分がコロナで死ぬかもしれないぞ、ということもそうだ。肺炎になって苦しんでいる最中、きっと僕は治って元通りになるだろうと信じて耐えるだろう。結果として死ぬかもしれないが、直前まで自分が死ぬ、という恐怖を感じないように思う。末期がんなどで余命を宣告されてジワジワと死の恐怖を味わうよりは、肺炎で苦しい苦しい、といいながら気がついたら死んでいる、という方が死の恐怖というものを感じないでいられるように思う。実際にインフルエンザで高熱が出たときも、苦しかったが死の恐怖を感じることはなかった。肺炎になるときっと苦しむんだろうが、寝たら治ると信じ切っていられると思う。気づいたら治っている、もしくは死んでいる。それなら気にするだけ無駄だ。

 

ネットを見渡すと、近づく恐怖に対し自分ごとであると認識できる人が多々いるようで感心する。僕は自分が肺炎になる、というのを理屈でわかっても、全然気にしないでいられてしまう。社会に蔓延することの恐怖が強いひとがいる。僕はその後の「整理整頓された社会」にワクワクして、コロナ以前に持たざる者であったが故に、ローン未払いの末差し押さえの苦難や、会社リストラからの家庭崩壊、手に入れた店舗や会社を失う痛みなどを感じることはないだろう。だからこそゼロのままなんとでもなる。岡村隆史ではないが、失った者から流れていく価値の暴落した何かを、買い叩けるチャンスさえあるのではないか、という下品な思考があったことも否定できない。それを買うだけの現金は全く持っていないのだが。

 

そんなわけで僕はというと、その後の世界で生き残るため、武漢化する前にテレワークの仕事のみを受ける体制にし、2月以降の仕事を選別していた。一度仕事を受けると最低でも3ヶ月は同じ仕事に従事するわけで、すぐに疫病が猛威を奮うと信じていた僕は受けやすい常駐案件を断っていた。

 

それこそが間違いだったのだ。

 

まず4月中旬からいよいよ増えるかと思った感染者は横ばいどころか減り続けてきた。まるで収束するかのようなグラフの動きだ。この原因は色々と言われているし検証を待たねばならないが、とにもかくにもイタリアにもNYにもなりそうにもないということだ。それは政府のおっかなびっくりの対応とともに僕の期待を裏切った。僕は政府がグタグタなのは予想していたが、彼らは思ったよりも国民と医師の圧力を受け止めた。僕の予想では政府は経済活動を優先して、あっさりと事実上のノーガード戦法に移行するだろうと思っていたが、実のところ経済の死と引き換えに自粛を強制するという平凡な先進国と同じ態度をとっている。そうして国民は高齢者を見捨てろ、などと言うことなく、倒産やリストラの準備と覚悟を進めているように見える。

 

そうして5月の今、僕は自分の業界が思ったよりも窮地であることを知ったのだ。不況が来る事は知っていた。だがIT化の流れは止めようがなく、テレワークなどの移行やEC需要などで、むしろ仕事は横ばいか増えるぐらいだと思っていた。残念ながら、案件は激減していると業界の営業筋から聞かされて、いよいよまずいのではないか、と恐怖が目前に迫ってきた。僕が望まなかったカタストロフだ。

 

僕は年末から働き詰めで、それなりにキャッシュがあったので何とかなるだろうとタカをくくってきたが、いよいよ働かないとキャッシュが底をつきるという状況になりつつあり、6月以降の仕事を早めに確保しないと、真夏に室内熱中症で死ぬ可能性さえある。

 

人を呪わば穴二つ。僕はどうやら他人の不幸を物ともしない薄情さの報いを受けるかもしれない。

 

僕は100年に一度の危機を他人事として、都合の良い将来を夢想していたが、弱い立場の人間は例外なく苦しむ、という厳然たる事実を見つつある。白昼夢であってほしい。

 

つまり現実はこうだ。

 

高齢者や不健康者は案外死ぬこともなく財政負担は以前からの予想通り解消されず、重税国家を生きることになるし、優良企業も財務が傷つき、一部の商売が経済から完全に消滅することで縮小した経済の中で悲惨な労働競争をせざるを得ないようになり、海外に出稼ぎだ!などと思っても移動さえも規制され、しかも疫病下に行われた一時しのぎの、個人としてはショボいが巨大な財政支出のツケも現役世代が抱え込む、というわけだ。

 

不況により収入は激減して、自慢の技術職では働けず、下手をするとUberEatsで糊口をしのぐことになるかもしれない。今更、Amazon倉庫で働くアルバイトに戻れるだろうか?かといって他の業種に新入りとして再就職できるわけがないし、そもそも大不況なんだから職がない。

 

キリギリスのようなこの妄想的3ヶ月の間に仕事を受けていれば、キャッシュが底を尽きる時間を先延ばしすることができたのに、僕は妄想に入り込んだ結果、シビアな現実を受け入れざるをえなくなっている。

 

そんなわけでカタストロフィは太陽の爆発のような美しい滅びのようなものではなく、個別に毎日訪問してきては絶望と苦しみをお届けし続ける宅配人なんだろう、ということがわかった。

 

…生きねば