フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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疫病だから自由を簡単に捨てるなら、それは真の自由を手にしたとは言えない。

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スウェーデンで何があったの?!私達が日本へ帰らざるを得なくなった理由 | ジャズピアニストがスウェーデンで教会音楽家になった!

 

この記事がバズっていて、ブコメ含めて日本人は日本人という考え方に凝り固まっているんだろうと思った。日本人ももちろん持っているものに、集会の自由であったり移動の自由であったりするものがある。今の日本の情勢を見れば、我々は好んでそれらを捨てたということになる。

 

さすがスウェーデンだな、と思ったのは彼らが真に自由主義だからだ。歴史を振り返ればわかるが、人権だとか自由だとかいうものは闘争を重ねた先に、ようやく手に入れたものだ。言い換えれば簡単に捨てていいものでもないはずだ。政府は国民を強力に統制しない、と名言できる国はほとんどない。

 

ここで冒頭の記事では「移民が政府に文句を言うな」とFBで言われたとあるが、まあそうだろうな、と思う。同情はするんだけど、仕方ないんじゃないか、と。僕がスウェーデン政府とその総意を読み取って、代弁するならこういう。

 

「疫病だからといって何で自由を捨てなければならいのか?」

 

日本人は従順かつ臆病なので、疫病が流行れば政府統制下に入らざるをえないと思っている人が多いが、そもそも移動の自由や集会の自由などは、信じられぬ苦労をもって、時には「命を捨てて」手にしたものと言える。

 

命が惜しいから自由を捨てろ、と言ってしまえるのは自由の尊さを知らないとも言える。ミサをする、結婚式をあげる、どこかのカフェでおしゃべりを楽しむ、そういったことすべてを捨てて家に引き込もれ、というのを実践できてしまうほうが、実はおかしいのではないか?

 

アメリカなどでもロックダウンをやめろと声を上げるのは、何も不思議ではない。自由を簡単に捨てろと言えるほうが、実は狂っているのではないか、そういう意見があってもいい。

 

日本では日本の主流の考えが反映されるので、ロックダウンされたし、自粛圧力も相当強い。これは日本が政府に抑えつけられない自由というものを、実はあまり重視していない現れなのかもしれない。実際のところ日本が全国津々浦々まで自由が行き渡ったのは、戦争の敗北とGHQの上からの政策のおかげであって、心の底から自由を渇望してきた人々の手によってではない。棚から落ちてきたぼた餅は簡単に捨てられるのだろう。

 

とはいえ、本当の意味で抑圧されない自由を渇望しているのはスウェーデンアメリカぐらいのものかもしれない。日本人に限らず、大抵の人は状況下に応じて自由を捨てる考え方があるんだろうな、ということが今回のコロナ騒動で理解できた。

 

スウェーデンアメリカのような自由国家に行くならば、日本人の上からの規律の矯正という考えは捨てなければならないように思う。そもそも上から強制されないというのが彼らにとっての正しさなのだから。

 

いざという時、統制されるべき、という考えを捨てられないなら、自由主義の国に行くこと自体が間違っているのだ。政府は国民を抑圧しませんよ、と政府自ら発していることに疑問を抱くなら、あなたは真の自由には向いていない人なのだ。

 

日本の判断が正しいと思ってもいいし、統制のおかげでコロナが蔓延しないことに感謝してもいい。日本が機能的で疫病対策には向いているというのも間違いないだろう。政府が統制しないのでたくさんのスウェーデン人が死んでいくことにもなる。

 

ただそこに自由がある。