フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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文章という老害要素

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僕の友人たちがyoutubeをずっと見ているという。少なくとも3人は大量に見ている。1人はゲーム攻略とかを見ている。さらに1人が子供のために見ている。仲良し6人グループのうち僕を除く5人がyoutubeのヘビーユーザーらしい。僕はというとまずもって見ない。僕は文章派である。ブログ、はてブ、ニュースサイト。なので自分がネットでアウトプットするときも文章というのが最初に手段になる。

 

ところがもう文章というものが時代遅れになっているんじゃないかと思った。ひょんなタイミングで話題になっているyoutuberを見る時があった。結構前だが気まぐれで。1つの動画あたり100万再生は堅いグループの動画を見てみた。人気だけあって編集や企画でおもしろくしようとしている内容ではあったのだが、まったくもってつまらないとも思った。金をかけたテレビの企画ほどではないし、素人にしては頑張っているんだな、というぐらいだと正直に思った。ところがそれが200万再生とか300万再生とかしていたのを覚えている。

 

それから時が流れて、昨日もあるyoutuberがバズった動画を見てみた。これは上記のグループよりもさらに底辺感のある動画で、端的に言うと別のyoutuberに嫌がらせ突撃をした動画なのだが、見ているだけで社会の最底辺の人間になった気がした。ところがコメントとかネットでの評価を見ると、僕より年齢の上に人がそれを見てもっとやれとケタケタ面白がっていたのだ。そういうコメントを見た。

 

以前から迷惑系youtuberと呼ばれる人たちもでてきて、炎上上等で目立つ行為をして再生数を稼いで広告費を手に入れるような奴らもいるそうな。そう言えば有名人が死んだ時も知り合いを名乗るyoutuberが動画をたくさんアップしていて「いや、そんなのモロバレだろ」と思ったものだが、再生数を稼げることを売りにした情報商材が出回っているそうで、有名人の知り合いを名乗るというのが再生数稼ぎの手段ということらしい。地獄か。

 

昨日僕が見た迷惑系youtuberは以前アカウントバンを食らったらしいが、バンされたアカウントで300万も稼いだと言っていたそうな。嘘か本当かはわからないが、それぐらいはよくあるらしい。この現象は何なんだろうなあと考えたが、つまりこれは見る2chなのだろうな、という結論を得た。

 

僕が10代の頃から10年ぐらい前までは圧倒的なネットコンテンツの供給者だった2chだが、このどうでもいいことを語らったりする場所がyoutubeになっているというふうに思うにいたった。さしづめyoutuberはスレ立て主で、コメントを書いてあれやこれやと感想を述べる場所になっているというわけだ。いまやテキストでやり取りすることは古くなって、動画を見てそれに感想をつけたりするのが主流というわけだ。アフィブログyoutubeの動画になって、それで金が入る。

 

それに気づいてしまった時、僕の好みやスタイルは老害なんだろうなあ、とため息がでた。テキストなんてものは旧時代の産物で、広告を貼り付ける場所としても効率的ではなくて、Googleも広告主も、コンテンツ提供者も視聴者も、もはやテキストベースのコンテンツを求めていないのだろう。

 

本当に、本当に凡人のような日常動画でさえ再生数の多いコンテンツになっていてドン引きしたのだが、2chの1スレッドと考えれば、たしかに同じぐらいしょうもないものだろうと思う。そのしょうもない2chやブログを見てきた僕が、youtubeに呆れるなんてのはお門違いってやつなんだろうね。

 

とはいえyoutubeには数学などの教育系の秀逸なコンテンツなんかもあって、今じゃ学習するのにGoogle検索をするより、とりあえずyoutubeで検索したほうが効率的、ってのはある。すでにテキストサイトは中身のない量産webサイトで汚染されているが、youtubeに関しては動画なので、テキストほど量産できず、個人の個性がでるし、webサイトと違って再生数が表示されているため、ある種の信頼性の指標が見える。スキップ機能、音声だけ聴く、自動字幕も発展しつつあって、色々と自分のスタイルで視聴できうるのも視覚のみを完全に奪われるwebサイトよりもいいのだろう。今風だ。

 

とは言え同じ日常をサラッと書いた僕のブログの何倍もの視聴者を同じ日常の20分ほどをカットしたyoutuberが獲得するのを見ると、何だか年老いて忘れ去られた気分になる。1ヶ月に10万アクセスぐらいが上限のこのサイトに比べれば、1動画10万アクセスもザラにあるyoutubeのほうが広告価値があるのでしょう。

 

現代のインターネットにおいて文章ってのは老害の象徴なのかもしれない。