フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

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外国人奴隷解放のために高齢者を殺せますか?

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anond.hatelabo.jp

この増田を見れば分かる通り、そしてはてブ界隈ならある程度知っていたと思うが、高齢者の介護のために外国人奴隷を輸入しているのが日本の現状だ。

 

これはつまるところ日本の民主主義の結果だ。20代ぐらいの若者ならあまり気にしないかもしれないが、50歳ぐらいの人からすれば自分の親の介護というのは重要なトピックだ。高齢者にとっても自分が認知症になった時に、子供に迷惑をかけずにいられるか、ということを考えている人は多い。

 

僕の母も90歳を超える母の面倒を独身の母の姉がみていて、デイケアの人と仲が悪いことの愚痴を聞かされ、自身が認知症になったりしたらどうしようと不安になっていた。「迷わず施設に入れてくれ」と僕に言うが、僕は「今どきの施設はよほど重度じゃないと入れないし、民間のは1000万とかとられるよ」と言ったりした。他人事ではない。

 

日本の平均年齢が46歳だとかなので、有権者の大多数が親や自身の介護というテーマとは無縁ではない。移民嫌いの自民党が事実上の移民制度をとっているのは、有権者の要望があってのものだろう。もちろん移民を受け入れろというわけではなく、介護現場をなんとかしろ、という要望だろう。それに対して財務的な問題が有り介護要員を高給取りにはできないし、その上で数も増やさないといけない。結果として外国人搾取という手段がでてくる。

 

それをけしからん!というならば、増えすぎた要介護高齢者をどうするのか、という問題がでてくる。介護現場の給料を上げれば働く人が増える、という人もいようが、僕は福祉予算をこれ以上増やすことを日本の政府官僚はしないだろうとみている。国債をすりまくれ、だとかMMTだとかの意見は論じない。というも日銀だろう財務官僚だろうとオペレーションできるプレイヤーたちはまったくそれらを信じていないからだ。国民が放言をはいたとて実務の担い手がいないなら絵に描いた餅だ。

 

そんなわけで日本人が今直面しているのは、「死の回避」に上限を設けませんか?ということだと思う。考えてみてほしいのだが60年代や70年代の寿命は60代や70代前半だとかだったのだ。それが今や80歳後半まで伸びた。平均寿命なわけで100歳超えも何万人といる。

 

政治もマスコミも問いかけるべきなのだ。

「それって幸福ですか」

「持続可能ですか」

 

持続可能でないから、まったく別の非人道行為(外国人搾取)でなんとかごまかそうとしているわけなのだが、そろそろ我々は治療の打ち切りや安楽死を含めた議論を勧める必要がある。安楽死に抵抗があるなら治療の打ち切りでもいいだろう。

 

たとえば80代を超えて癌になった人に高額の抗がん剤を使わせるべきだろうか?脳卒中はどうか?意識が戻らないで胃ろう状態になった人は?

 

僕らはそろそろ「病気で死ぬ」ことに慣れるべきだと思うのだ。

 

うちの婆さんは80を超えて癌になり、抗がん剤治療をして今や90を超えてもベッドの上で寝たきりではあるが、意識はピンピンしている。孫としては喜ばしいことだ、などとはちっとも思っていない。祖父祖母にこれと言って懐いてきたわけではないから、死ぬタイミング逃したなあと率直に思った。認知症じゃないだけマシだが、もしこの先そうなったら母親への負担も少なからずくるだろうし、率直に言って勘弁してほしかった。

 

日本の問題のかなりの部分が高齢者を生かしすぎていることに起因していると思う。無理矢理にでもとにかく生かさなければならない、という義務から何が何でも生命装置に金をかける。だが高価なシステムがなかった時代、つまり60年代や70年代は割と早く死んでいたのだ。それでも社会は回っていた。

 

今や金さえかければいくらでも生きられるようになった。本人の生命力が強ければ、本来なら死ぬ病気も金を積めばどうにかなる。当然税金を捨てるように使ってそうしているわけだが、金のかかる科学だけでなく外国人の命も高齢者の生命維持にコンバートしている。

 

僕は寿命の延長にはそこまでする価値はない、と断言したい。

だがコロナ禍が襲った今も日本の人道主義者達は、高齢者を見捨てる国に未来なんかあるか、とでも言う人が散見された。いくらでも金を使っていいと言わんばかりだ。

 

もし日本の未来を失わせているものがあるとすれば、高齢者への際限のない税金の方ではないか、と思うのだ。僕らが価値観を転換させ、そこそこの年齢で死ぬもんですよ、と意識できればもっと違った未来があるんだろうけれど、高齢化した社会では間引かれるのが自分かもしれない、自分の寿命が縮むかもしれない、と恐れる人が増えたので年をとったら死ねるタイミングで死にましょうとはならないようだ。

 

ようは、ごく人道的な手法のみでは我々の医療介護は成立しないようになっていて、僕ら全員が非人道的手法で贅沢な寿命延長をしていると言える。

 

高齢者を切り捨てるのか?と義憤を感じる人は、その生命維持のために非人道行為と労働搾取で実現していることにも憤って欲しい。

 

順序で言えば、死ぬタイミングで誰を搾取しても何が何でも死なせないという方が間違っているのだ。

 

外国人搾取に限らず、医療従事者の激務や安月給すぎる日本人介護士も搾取と言えるだろう。我々は本来成立しえない社会を無理に成立させている。

 

だから高齢者を切り捨てるのか、と問いかける前に自分がどれほど搾取に加担しているのかを振り返るべきだと思う。この高齢社会は搾取で成り立っている。だからそれを素晴らしいと思うならやはりあなたは搾取側の悪人なのだ。