フロイドの狂気日記

時は流れ、曲も終わった。もっと何か言えたのに。

PR

研究は金があるからできるという話

PR

どこかで読んだ本に書いてあった「研究者になるのは金持ちの子息」みたいな話を思い出した。衣食住に困らないから死ぬまで好きなことをしていられる、と。その究極系が鳩山元首相の一族なんだろう。ポッポとバカにされているけどPhDの取得者だし。それも並ではないレベルの。

 

ところで読者諸君が思う十分に生きていけるお金とはいくらだろうか。家賃を払い十分な食費が有り、多少趣味に使え、付き合いの飲みぐらいなら参加でき、一年に2-3回の国内旅行にでもいければ素晴らしい暮らしだ。一ヶ月に20万ではやや足りないか。30万なら余裕そうだ。年間360万。額面だけ見れば案外少ない気もするが、扶養家族のない一人暮らしなら余裕だろう。

 

もしも、その360万なり500万なりの金額が降って湧いたとしよう。そうすると1年間はまるまる働かなくていい。これは想像のゲームだから現実では仕事が辞められないとかの個別事情は抜きにしよう。兎にも角にも1年間を自由にしていいということになったとする。

 

その一年は毎日24時間PS4をしてもいいし、Netflixで映画三昧でも、図書館にこもって読書漬けになるのもいいだろう。寝て過ごしたっていい。気ままに起きて適当にネットサーフィンして日が暮れたら寝てを繰り返す。金がなくならない範囲で酒を飲んでもかまわない。

 

想像してほしいのはその状態で興味のあることを研究できますか、ということだ。そもそも大学の研究所にいねえってのは言わないぜ。好きなことを一日中していられるというのはある種の才能だと思う。僕に関して言えば長い休息を得ても、生産性はゼロに等しい日々を過ごしている。ましてや金が有り余っている家系に生まれたからと言って、ネトゲだのソシャゲだのや3大欲求を退けて、未来につながる何かの勉強ができるかってことだ。

 

10代から20代にかけての万能感を持った時期でも、時折同じくらいの年齢で大金を稼いだり実績を残している人を見ることがあった。そういうとき、僕は休みがないから働かざるをえなくって、それで十分なスキルを磨けていないんだよ、と心で思ってきたような気がする。

 

だがそうじゃない。ここ5年のうち全然働かない時期を半年持ったり、2ヶ月ぐらい休んだりしてきた。そしてその度に何かしようとしてきて実を結ばなかった。僕は相変わらず凡庸な群衆の一人だし、そこから抜け出す積み重ねもない。金を稼がないで良い時期を確保すると、だいたい食う寝るの繰り返しで、その合間にほんの少しのちょっとした些細な勉強をしたりして満足したら、しばらくして働く日々がやってくる。

 

世の中の研究者ってのは本当にスゴイ精神力なんだな、と。20代まではギリギリ言い訳ができたのに、今は目の前に無限の階段が現れたみたいな気持ちになっている。年齢を数える。後26年後は60歳だ。もう残された時間は殆どないんじゃないかって気がしている。34歳といえば24歳ぐらいで修士を取った人が基礎レベルの上に10年ものキャリアを蓄えている。まさしくエリート。とんでもない能力差だ。

 

それに比べて僕はどの分野でもレベルゼロって感じがしてうんざりする。そもそも何もしたいことがないんだから仕方ないけど、そういう人生も悪くないんじゃないのって受け入れられなくて辛い。金も欲しいし学も欲しいとか30代で思うもんじゃないよ、せめてどっちかにまずは絞れって脳みそが言うけど、どっちも手に入りそうにない。

 

今チャレンジしていることの決着が今月末から来月頭にはある程度見通せる。そこで終わりってわけじゃないけど、期待はずれの結果だったら7月や8月が辛いことになる。

 

その精神不安定さでもって最近ブログで社会問題を利用して雑に八つ当たりしていたりする。テヘペロリンチョ。